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第3回若手企画シンポジウム報告


 今年で第3回目となった若手企画シンポジウムについてご報告させていただきます。今回は、ポスドクと学生の方々に司会進行をお願いしました。若い方々が、話題提供者の皆さんと同じくらい企画を盛り上げてくれたことに感謝します。野口さんの報告にもありますように、本企画は学会プログラムの一部としての市民権を得た感があります。それはそれで嬉しいことですが、はじめは目新しく興味深い企画でも、回を重ねる毎にマンネリ化するおそれがあります。せっかく「若手」と銘打った企画ですから、今後はもっと本物の「若手研究者」の方々に積極的に参加していただけたらと切に願う次第です。アンケート結果からも、「また来年も企画して欲しい」という意見が強いようです。若手の皆さんの積極的な参加をお待ちしています。最後に、本企画において快く話題提供を引き受けていただいた先生方と、会場設営や準備などにご協力いただきました岩手大学のみなさまに御礼を申し上げます。


束村博子(若手奨励策検討委員会委員長)




第3回若手企画シンポジウムを終えて

野口 純子((独) 農業生物資源研究所)

 この秋岩手大学で開催された第95回日本繁殖生物学会において、若手企画シンポジウムを実施しました。神戸の学会で初めて開催したこのシンポジウムも3回目となり、学会プログラムの一部として根付いた感があります。また、前回の学会から懇親会は特に用意されていないため、一部ではこの企画が懇親会の新しい形として受け止められているようです。会場・岩手大学学生食堂に多くの皆さんが集い、発泡酒片手に歓談し喉とお腹を落ち着かせたのち、隣にセットされたスクリーン前に着席してシンポジウムが始まりました。

 前回のシンポジウム時のアンケートでは、現役研究者の経験談を聞きたいとの希望が多く寄せられました。そこで今回、舘鄰先生(三菱生命研)、平尾雄二さん(独・東北農業研究センター)、そして汾陽光盛先生(北里大学)と3人の研究者を講師にお迎えし、ご自身の研究に対する姿勢について経験談を交え語っていただきました。舘先生は自然科学は文化の一部であり研究の進め方にもお国柄とも言うべき特徴があること、研究者もまた時流に影響されてきたことなどお話し下さいました。平尾さんはアメリカ留学経験を中心に、ご自身の研究テーマをどのように継続、発展してこられたかを紹介して下さいました。汾陽先生は海外の学会やシンポジウムに積極的に参加し自身の研究を客観的な評価に晒すことの重要性、またご自身がその結果いかにencourageされたかということをお話下さいました。私自身、時に自分を振り返って耳が痛い思いをしながら3人のお話しを傾聴しました。多くの聴衆の皆さんも同様の感想を持たれたことが、アンケートの回答から窺えます(アンケート集計結果をご覧下さい)。

 今回特筆すべき点は、現役学生(博士課程)とポスドクの3人が司会進行役をつとめ、ともすれば聞き手専門となる聴衆をリードして、活発に講師の方々への質問や意見を発し、会場を盛り上げて下さったことです。シンポジウムやセミナーではどんなに発表の内容が良くても、その後の質疑が活発でないともう一つもの足りない思いです。活発な質疑応答は、時として発表では聞けなかった情報や教唆をもたらす事もあります。ですから質疑応答を導く司会者は非常に重要で、難しい役割です。おそらく3人とも初めての司会進行役だったのでしょうが、十分に大役を果たしてくれました。

 もう1点は、会場設定と片づけを自主的に手伝った参加者がいたことです。繁殖学会は毎回当番となった大学や研究所が会場設定他、全ての準備を調えて開催されます。若手企画についても事前に様々な準備を御願いしています。しかし、このシンポジウムは他の発表とは異なり自主企画ですから、当日出来る限りのことは企画者そして参加者が行うべきです。3回目の今回、その趣旨を理解して準備に自主的に参加して下さったことは、企画者全員大変嬉しく思いました。

 委員会では次回の企画について検討を始めました。過去3回で7人の方からいろいろな角度でお話しいただき、「研究とは何か」あるいは「研究者とは..」という若手研究者の疑問や不安に指標を示していただきました。シンポジウムに参加して自分なりに何らかの回答を得た方も居られることでしょう。一方でどんなに数多くの体験談を聞いても同じものはひとつとしてない、換言すれば各人が模索しつつ進むしかないという現実に改めて気づいた方が多いのではないでしょうか。問題に直面し、最後に決断するのは自分です。ただしそれまでの過程で、経験者から受けるアドバイスは重要です。必要とするとき適切なアドバイスを得るためには、日常機会ある毎にいろいろな人と接触すること。閉じこもっていては何も進みません。そこで、次回、帯広の学会では皆さんが話す立場となるような内容の若手企画を提案しようと思います。もう少し具体化すれば、HPやメールで準備その他に参加してくださる方を募集します。その際にはご自分の状況が許す範囲で、是非ご協力下さい。


アンケート集計結果はこちらです。






初司会の感想

川口 真以子((独) 国立環境研究所・NIESポスドクフェロー)

     このたび若手企画シンポジウムの司会をさせていただいた川口です。後のお二人が現役の学生さんというどこからどうみても初々しい若手であるのに対し、かわいげのないポスドクの私(注:ポスドク全てがかわいげがないわけではありません、念のため)が若手代表で司会、というには少々はばかられるものがありましたが、興味が先行し無謀にもお引き受けしてしまいました。先生方のお話を受けた感想は米澤さんが書いてくださいましたので、私は初めてこのような場で司会をさせていただいた感想を述べさせていただきます。

     私は昨年初めて若手企画シンポジウムに一観客として参加し、つい質問にたち、そのご縁でそのまま企画に関わらせていただきました。昨年、観客席から参加していたときは、面白く拝聴していながらも、私のような新参者がしつこく質問するのは予定調和を壊してしまうのだろう、聞いているだけのほうが望ましいのではなかろうかと思っておりました。しかし今年は企画段階の先生方の話し合いを垣間見ることもでき、また司会というまさに当事者として会に参加し、視点が180度転じることとなりました。

     その結果、司会として会を進行させているときには積極的に参加してくれたほうが嬉しく、こちらの意欲も増し、また会の内容も充実することを実感しました。そしてこうしたシンポジウムだけではなく、学会、研究所、さらには研究分野そのものも、それに関与する全ての人がいかにその集まりを自分のこととして考え、お客としてではなく盛り上げる側として参加するかがその組織の豊かさに大きく影響するのだとも思うようになりました。それはこの企画に参加させていただいて得ることのできた貴重な感想です。

     一方司会とは、会を内容的にまとめながら進行させる役です。観客席の人々に積極的に参加してもらうためには司会の采配が重要です。今回私は自らがしゃべりすぎて観客が参加する余地を奪ってしまったこと、演者の先生方のお話の最中にも質問を差し挟みすぎてしまったことなどを反省しております。大変失礼いたしました。今後もしどこかで会を進行させる機会に恵まれたら、広い視野をもち演者の話をより生かせる司会ができるよう頑張りたいと思います。

     今回のシンポジウムは企画側としての参加ではありましたが、シンポジストの先生方のお話は時を経て私が研究生活に悩んだときの大きな支えになっております。また、このような機会を与えてくださり、またこの企画をきっかけにさまざまな御助言をしてくださった先生方に深く感謝申し上げます。



若手シンポ感想文「ベテランへ、エールのお返し」

米澤 智洋(東京大学大学院農学生命科学研究科・獣医生理学教室)

     「謎を解き明かしたい」と素朴に思い、泳動写真にドキドキしたり、美しいグラフに感嘆のため息をついたり、途方もない新仮説をうち立てて奇声をあげたり、研究室での実験づけの毎日はエキサイティングでとても満足している。それなのに、毎晩のように不安や虚無にうなされて寝つけなくなってしまうのはなぜだろう?

     一つは卒業への不安である。実験が失敗しまくる。そりゃうまくいくと分かっているなら実験する必要もないわけで、なかなかうまくいかないのは当たり前なのだが、それにしても思い通りにならない。

     今一つは就職への不安である。貧乏で不安定な暮らしがほぼ約束され、プロジェクトごとの雇用のため保証はなく、親兄弟には迷惑・心配のかけどおしである。ポスドク1万人計画によって急増したポスドクに対して、受入口となるアカデミックポストは断然少ない。「ポストポスドク問題」というらしいが、笑いごとではない。

     そしてもう一つは研究自体への「虚無」である。結局は独りよがりな自慰的行為なのか。自分の研究がなにかの役に立つのか。もちろん他人から指摘されればディフェンスできるだけの理論武装はしているが、自分自身ふと疑問に思わずにはいられない。

     もし今先生方が若手の一人として筆者にエールを送ってくださるなら、この不安や虚無を払拭するヒントがほしい、と常々思っていた。今回、本シンポジウムに参加して、その思いにいくつかの答を見つけることができた。

     一つめの不安に関しては、まさにそれが楽しみだったりもするのでそれ程悩んでもいなかったのだが、エールをくださった偉い先生方でも、昔は失敗だらけだったことを吐露してくださって、溜飲が下がる思いであった。彼らの誰一人として、今ですら努力を惜しんではいないではないか! さらに戦後の復興や、気軽に出来なかった海外留学など、今では想像すらできない理不尽な壁に立ち向かってきたのだ。たしかに努力したからといって成功するとは限らないが、努力なしに成功はあり得ない。そんな当たり前のことを再発見した。

     ここで敢えて不遜を知りつつ、「若手へのエール」のお返しを、「ベテランへのエール」と称して、世のベテラン研究者たちにお送りしたい。その一、若手研究者の日々の実験の失敗をもっと細かく、できれば一日単位でケアしてほしい。時間的に不可能なら、別のラボの同じ悩みを持つ研究者と知り合える場を設けてほしい。助言はもちろんのこと、友人の努力と失敗が、どれほど自らの精神衛生を助けることか!

     二つめの不安は、館先生が詳しく解説してくださったとおり、やはり明るい要素は少なく、厳しい見通しであることが再確認され、強く絶望した。時間の都合上、その打開策を聞きそびれてしまったことは痛恨の極みである。ひとえに座長役たる筆者の至らなさであり、聴衆にも館先生にもお詫びしたい。すいません。しかし絶望の淵の中で、一条の光と呼ぶべきものは、平尾先生のいう「諦めたときが研究者でなくなるとき」との言葉であった。裏を返せば、どんなに厳しい就職難でも、諦めなければなんとかなるということである。「失敗とは成功の途中で諦めることである」という言葉を思い出した。

     そこで二つめのベテランへのエールであるが、選抜に耐えるとき、若手が他者と差別化できる特技を何でもいいから意識的に学ばせてあげてほしい。それから政治家の方へのエール、アカデミックポストの枠を増やして! 研究費をケチる国に未来はないですよ!

     最後に三つめの「虚無」であるが、筆者はこれが一番感動したのだが、研究の意義うんぬんや、研究者としての半生とか、そういったテーマの中で、自分のライフワークたるアネキシンの話をしている時の汾陽先生が、一番輝いていた。結局、研究が自慰的行為であろうとなんだろうと、研究の意義をぶつぶつ理由づけするよりも、研究成果をストレートに発表している研究者の姿がいちばんサマになっている。見せられたスキームが突飛であればあるほど、研究の社会的意義をぬきにして、躍動する自分の心に気がついたとき、「虚無」はきれいに氷解していた。

     この瞬間! この瞬間のために万難のりこえて研究生活を営んでいるのだと思った。ベテランへの最後のエール、それは「この瞬間」をできるだけ多くの若手に示して見せてほしいという切なる願いである。ベテランの力強い背中こそが、若手の脆弱な心を奮い立たせる唯一の拠り所なのだから。

     おしまいになりましたが、本シンポジウム遂行にご尽力くださった束村博子先生、大澤健司先生はじめ若手奨励検討委員会の諸先生方、名古屋大学農学部の皆様、お疲れさまでした。






若手企画シンポジウム感想文「わたしが得たもの」

木下 美香(名古屋大学大学院生命農学研究科)

     今回のテーマは「研究で自己表現したい若者へのエール」でした。テーマ通り、叱咤激励あり、励ましあり、示唆に多く富むお話ばかりで、大変ためになりました。

     戦争という個人だけではどうにもならない大きな時代の激流の中で、それでも、研究者としてその時代を駆け抜け、今なお活動なさっている舘先生の話では、同じく研究者を目指す者として、飢えに苦しむ人が存在するこの時代、平和で豊かな日本で暮らしている自分は、どれほど恵まれているか、また、まだまだ頑張りが足らないのではないだろうかと普段の日常を反省しました。平尾先生の話では、自分はもしかして研究者に向いていなかったらどうしようという不安が払拭されました。あきらめなければ、研究を好きでいられるならば、研究者でいられる、これなら自分がへこたれない限り大丈夫だ。小学4年生の時、まだ、研究者という言葉を知らなかった自分が文集の「将来の夢」のところに書いた「調べる人になりたい」という夢の延長線上にまだいる今、夢をあきらめないことの重要さを再確認しました。汾陽先生は、修士二年の頃から面識があり、なんてにこやかな方なんだろうと思っていました。が、今回、先生自身の話を初めて聞いて、これぞ外柔内剛、周りからどんな評価をされようとただひたすらに、純粋に、自分の興味を追いかけるその心の強さに感動しました。今では、実験が失敗したり上手くいかなくても、苦節二年がなんじゃこりゃ、小さい小さい、と思えるようになりました。

     今のところ自分は、生来の楽観的すぎる性格のためか、普段、将来への不安に悩まされることはないのですが、冷静に社会情勢を見てみると、少しは自分も悩んだ方がいいのでは?とさえ思ってしまいます。これまでの学歴社会という通念が崩れ、いつリストラされるかわからない雇用状況。最後の楽園といわれてきた大学にまで、やはりその余波は避けられるわけがなく、少子化社会への生き残りをかけた大学間での争い、はたまた、国立の法人化による任期制導入などの雇用体系の変化。評価は正当にされるのか?また、女性教官の少ないこと。どこをみわたしても、こうすれば大丈夫といったすがるものもなく、不安材料は尽きることがないだろうと思われるくらいです。しかし、私は、どうにかなるんじゃないかな、と楽観的です。それは、なぜかと聞かれても、自分でもわかりません。自分は運は割合強い方だとは思ってはいますが、研究者として将来が怖くないだけの自信があるわけでもないし・・。将来のことを現実的にとらえ切れてないのかもしれませんが、今回のシンポで研究者としての素質がなかったらどうしようという一抹の不安は解消されてしまったのでいまのところ悩み無しです。いろいろ将来における不安材料はありますが、困ったら、そのときになって考えようと思っています。もし、研究職に自分がついたら、と考えると、研究を仕事としながら、それでお金がもらえるなんて、なんて幸せなんだろうと思ってしまいます。今は、自分が立てた仮説を証明していくことがとても楽しいです。こんな世の中、実験ができるなんて自分は幸せだと思ってしまいます。

     そして、今ひとつ、シンポで印象に残っている言葉、最後にコメントを下さった笹本先生の「使命感、私がやらずに誰がやる」といった内容のお話。自分で勝手に標語のようにしてしまいましたが、我こそが研究者!と、うぬぼれだと思われようと構わない、そんな思いを持つのが若者の特権じゃないか!と思ってしまうのでした。いろんな場面で「こんなこと他の誰かもやってくれればいいのになー」と思うときも、その言葉を思い出し、自分がやらずに誰がやるんだ、と最近は思い直しています。そうすると心も軽く楽しくなります。これは、いろんなところで使えるのでは・・・!?悩める若手のみなさん、共に前向きに頑張っていきましょう!

     今こうやって振り返ってみると、ほんとうに多くのことを得た若手シンポでした。ただ、気がかりなのは、「会場に来た、同じように将来に不安を持つ若手の方が、自分の不安を抱えたまま、不発で帰ってしまわれていないだろうか?」ということです。というのもこれまでの若手企画と比べてフロアからの意見が少なかったような気がし、意見を引き出せなかった、司会としていたらなかったと反省しています。また、時間が限られた中で、仕切がうまくできず、会場や演者の方々に多少なりとも歯がゆさを感じさせたことと思います。すみませんでした。でも、とても良い経験をさせていただきました。会場で、最初の出だしのアイディアをくれた先生、ありがとうございました。どうしたらいいのかわからかったので、とても心強かったです。

     最後になりましたが、若手企画シンポジウムの会場の設定や、準備などでご協力下さった盛岡大学の大澤健司先生、若手奨励検討委員会の諸先生方、会場作りにご協力下さった先生方、学生の皆様、お礼申し上げます。ありがとうございました。



問い合わせ先

    日本繁殖生物学会
    若手奨励策検討委員会委員長
    束村博子(名古屋大院・生命農学研究科)
    E-mail: htsukamu@agr.nagoya-u.ac.jp




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