繁殖生物学会と私

 高橋 迪雄 



 私が東京大学「農学部畜産獣医学科家畜生理学講座(当時)」に卒論の学生として入室したのは1962年の春と記憶しています。当時の教室は、教授は星冬四郎先生、助教授は鈴木善祐先生、助手は江藤貞一先生で、大学院生とし後に三共で活躍された増田裕先輩、北里大で活躍された橋本祷先輩が在籍され、東北大、北里大、東京大学医科研で活躍された豊田裕先輩、米国に渡られハーバード大、現在NIHで活躍されている吉永浩二先輩はちょうど私と入れ替わりに大学院を修了された年です。

 星先生(故人)が現在の雑誌の前身の「家畜繁殖研究会誌」の編集委員長として、教授室へ著者を直に「呼びつけて」おられた光景などは、若い会員諸氏には想像を超えたものでしょう。会員の管理は鈴木庶務担当理事(故人)で、実験の合間に、当時のハイテク「パンチカード」に棒を差し込み、会費未納会員を探し出す作業などをされていました。

 その頃、ラットの卵巣静脈血を採取する技術を江藤先生が確立され、鈴木先生がユタ大学に留学されて教室に導入したペーパークロマトグラフィーでプロジェステロン、20α-ジヒドロプロジェステロンが定量され、その濃度推移が繁殖研究会雑誌に発表されました。バイオアッセイが未だ命脈を保っていた時代に、この成果は文字通り世界の生殖生物学の学界を震撼させました。別刷り請求は引きも切らず、受け取った外国の研究者は近間の日本人留学生に慌てて英訳を頼むという騒ぎでした。

 私はと言えば、1999年11月に現在働いている味の素社に移るまで、ずっとこの教室に留まらせていただきましたから、40年近く、絶え間なく学会のお手伝いを歳相応にやらせていただきました。雑誌の国際化のために、英文誌化して現在の誌名に代えるなどの作業は、最近惜しまれつつ他界された舘鄰先生と一緒にやらせて頂きました。

 今は味の素の製品群である「健康基盤食品」の基礎となる素材の研究をやっており、私が大学時代ずっと携わってきた「生殖生理学」の、後ろの「生理学」の部分が専ら強調された仕事をしていますが、あらためて生理学を勉強するための専門フィールドとして、「生殖」の切り口は最も勝れたものの一つであることを実感しています。私を育ててくれた学会に心からの感謝を述べると共に、100周年を心からお祝いしたく思います。次の100年を若い会員諸氏が引き継ぎ、一層の発展をもたらしてくれることを信じています。



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