家畜発生工学研究を振り返る

 入谷 明 



  1. 家畜の雌生殖器内の生理的環境と精子の受精能獲得機構の解明:ヒツジ、ヤギ、ブタ、ウサギの生体について、子宮と卵管の分泌液を連続的に採取しうる装置を考案し、生体に装着した。これによって分泌量や生化学的性状を明らかにした。入谷らによって報告された分泌液の組成値は、その後世界各国で開発された配偶子や胚の培養液の組成決定の基本となり、現在まで広く利用されている。また、発情期に採取された分泌液中に存在する非透析性、熱不安定性の蛋白質が精子の受精能獲得に関与することを見出した。これらの成果が次項の体外受精の成功に大きく寄与することになった。

  2. 家畜における体外受精系の確立:1970年代後半においてもウシ、ブタなどの大型家畜では受精能獲得現象の機構さえ解明されていなかった。上述のように、入谷らはこれらの動物での人工的受精能獲得技術の開発に成功し、同時に受精の対象である卵子は、食肉処理場で得られる多数の未成熟卵子を体外培養で成熟させて準備した。これによって、1977年にウシで、1978年にはブタで、いずれも世界初の体外受精成功例を報告した。入谷らの開発したウシの体外受精方式は、イギリス、アイルランド、日本で肉ウシの増殖に広く応用されている。

  3. 顕微授精法を用いた体外受精による動物生産方式の開発:人工授精や体外受精によってもなお、受精が期待できないような運動性の悪い精子では、顕微鏡下で微細針を使って精子を直接卵子内へ注入する方法が考えられた。入谷らは、この方法でウサギの卵子の受精に成功し、1985年アメリカ、ノーフォークでの国際体外受精会議の特別講演に招かれた、翌年この方式で世界初の哺乳動物、2匹のコウサギを誕生させた。なお、この技術がより大きく貢献したのはヒトの不妊治療への臨床応用であって、重度の精子減少症の所謂男性不妊患者の精子を使った顕微授精で、既に全世界で1万名を超える挙児が報告されている。

  4. 初期胚の顕微操作による一卵性双子〜多数子の生産:1979年イギリスにおいて割球分離法で一卵性2〜8子が生産されたが、この方法が頬雑で生産効率も低いことから、入谷らは形質の優れた卵子から一卵性双子を効率よく、且つ簡便な方法として、顕微鏡下で微小金属刃を使って初期胚を2分断し、分断胚を移植してウシの双子を生産する方式を開発、普及させた。

  5. 体細胞核移植によるクローン動物の生産に関する研究:項目4の初期胚の割球を分離して一卵性多数子を生産する方式は、受精卵クローンと呼ばれているが、1997年ヒツジの体細胞(染色体数:2n)である乳腺細胞を使った核移植によってクローンヒツジ、ドリーの誕生が報告されるに及んで、ウシなどの他の家畜種でのクローン生産の研究が活発に進められた。入谷らの研究室でもトリコスタチンを培養液に添加することによって生産効率を飛躍的に高めることが出来た。入谷は日本でのクローン研究の第一人者であり、農林水産省や厚生労働省のクローン検討委員会委員にも指名されている。

  6. 遺伝子の組み換え家畜に関する研究の新展開:入谷らは、ヒトも含めて脂肪酸不飽和化酵素を体内に持たない陸性哺乳動物のうち、ブタを対象としてホウレンソウ根部から分離した脂肪酸不飽和化酵素遺伝子、FAD2を導入し、従来のブタに比べて20%不飽和脂肪酸を多く含む「ホウレンソウ豚」の生産に成功した。この業績は、世界各国できわめて高く評価された。多量に摂取すると生活習慣病の恐れのあるブタの脂肪酸を不飽和脂肪酸に変えることによって、健康の改善に貢献すること、また分子生物学的には、植物遺伝子の動物への導入に成功した世界初の成果として、2004年4月にアメリカ科学アカデミー紀要にベストペーパーの一つとして掲載された。

  7. 発生工学の先端技術を生かした希少動物の保護、絶滅種の復活:入谷らは約20年来、動物園や野生での希少種の死後12時間以内に精子、卵子、体組織の一部を採取し、液体窒素中に凍結保存してきた。将来、必要に応じて人工授精や体外受精でその種を復活させる事を目的としており、アメリカの3箇所の動物園との共同企画研究である。特筆すべきは、マンモス復活プロジェクトであって、これは1997年体細胞核移植技術が確立されて以来、入谷らの研究室のウシでのクローニングの実績を考えれば、実現の可能性が高い。東北シベリアの永久凍土地域に夏期休暇を利用して3回実地探査した。マンモス軟組織を採取し、そのDNAの正常化を解析し、アジア象の卵子と借り腹でマンモスの復元を考えている。簡単ではないが、青少年の科学への夢、世界各国の期待に応えるべく、後継者とともに企画を推進している。



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