繁殖生物学会に関連する思い出
笹本 修司 |
1. 島村虎猪先生の想い出未だBanting and Bestによってinsulinが発見される(1921)以前のことですが、島村先生も膵臓の分泌に関しての実験をなさっておられました。ある時、先生は膵臓摘出犬の尿が床で乾燥すると、ハエがその部分にたかることをご覧になり、ご自分でもその部分を指でさわって舐めたところ、意外に甘い事に驚かされたそうです。そこで、直ちに、膵臓投与実験を実施なさいました、この時は経口投与されたそうですが、結果は、尿への糖排出には全く改善が認められず、後になって「あの時に経口投与ではなく、注射すればよかった」と残念がっておられたそうです。先生は、以前に鈴木梅太朗博士のオリザニンに関する研究(1911)の動物実験を全面的にお引受けになったことは周知の通りです。その時の経口投与のご経験かと勝手に推察致して居ります。しかし先生の膵臓内分泌に関するご研究は、後に友田製薬から我が国最初のinsulin製剤インゼリンとして発売される(1924)までに発展いたしました。昭和30年代になって「インゼリンの単位と効果が極めて正確で安定していた」と厚生省国立衛生試験場の長沢佳熊博士の回顧談がありました。
HCGを妊婦尿から抽出・製剤化し、戦後の乳牛繁殖障害治療に大きなご貢献のあったことは、家畜繁殖研究会の設立と初代会長としての島村先生の名と共に、会員各位ご承知のことと思います。
島村先生の膵臓内分泌に関する実験の失敗談は、私が東京農工大学へ転任後に、教室でのセミナー終了後の雑談の中で、高嶺浩先生からうかがった話です。高嶺先生が昭和14年に、島村先生の下で研究員として勤務された当時、何かの折に島村先生が想い出話をなさったとの事でした、また、長沢佳熊博士の回想は私の友田製薬研究部在職中の話です。申し添えます。
2. Gonadotrophinに関連する想い出性腺刺激物質に関する研究が急速に発展したのは、1920年代後半から1930年代前半のことで、Aschheim and Zondekが妊婦尿中にProlan(現在のHCG)発見を報告したのは1928年です。P. E. Smithがラットを実験動物として正確な下垂体摘出手術を発表したのが1930年で、これによって下垂体のGonadotrophinの研究(勿論その他のーtrophichormoneに関しても)が新たな展開を見せました。ご承知の事でしょう。
その当時、Wisconsin大学では、F. L. Hisaw教授らが幼若ラットおよび下垂体摘出ラットを実験動物として使用し、下垂体前葉の乾燥粉末から卵巣を刺激するホルモン2種類を初めて分離し、それぞれの作用を詳細に吟味しました。卵胞発育作用を特徴とするものをGonad Stimulating Hormone、他の1種類の卵胞を黄体化させる作用を示すものはLuteinizing Hormoneと記述しました。(1931)。当時、後者の卵胞を黄体化させるものには、Follicle Luteinizing Hormoneとする考えもあったそうです。しかし、省略名がFLHとなってF. L. Hisaw教授自分自身のイニシャルと一致することからFollicleを外してLuteinizing Hormone(LH)と記述されたそうです。また後にGonad Stimulating HormoneはFollicle Stmulating Hormone(FSH)と改められました(1934)。
なお、この当時の下垂体前葉の抽出物は可成り良く精製されましたが、FSHの文画には僅かながらLHの混在することが報告されていました。幼若雌ラットに3日間連続投与するだけでは卵胞発育のみですが、5日間連続投与すると卵胞の黄体化が認められました。しかしFSH自体には黄体化作用は無いとされて来ました。LH、FSHが完全に精製・分離され分子構造が解明されたのは、Dr. C. H. Liらの努力によるもので1960年代半ば以降のことです。第2次大戦後、我が国に於いても、ラット下垂体摘出術を独自に完成された本学会の名誉会員である今道友則先生は、FSHそれ自身に排卵誘起作用のあることを世界で初めて立証されました。
さて、Hisaw教授のグループの仕事が発展し、実験動物に投与する下垂体の抽出物も最初の頃よりはかなり増加し、初期には月に1回程度Chicagoの屠場で下垂体を採取すれば間に合っていたものが、週に1回はChicagoの屠場へ通う必要が生じたそうです。往時の研究室は4階、実験動物室は地階にあり、その頃は助手として勤務していたR. K. Meyer博士が、注射用の下垂体サンプルを抱えて4階から地階まで階段を走って上り下りしていた、とL. E. Casida教授が当時の想い出を話してくれました。その後Hisaw教授とDr. GreepはHarvard大学に転出され、私がWisconsin大学へ留学した当時(1969−1971)は、R. K. Meyer博士が、往時F. L. Hisaw教授が勤務されていたDepartment of zoologyの主任教授でした。
実は、私にとって、F. L. Hisaw教授の名は想い出深いものがありました。大学卒業後に就職した友田製薬の研究室でGonadotrophinのbioassayをしていた当時、背景となっている全体像をよく理解するため総説を精読しました(昭和34年)。それが竹脇潔先生の生殖腺刺激ホルモンに関する図書(昭和29年協同医書)と、Hisaw教授の総説(Development of Graafian follicles and ovulation; Physiol. Rev.; 2795-119, 1947)だったからです。
Below Zero(-0 F; -18 ℃以下)の冬のきびしいMadisonでの生活を2年間経験したWisconsin大学留学当時の私自身は、ラットのFSH, LHのRIAを実施中に、添加すべきAnti-FSH serumが不足したため、Dr. K. W. Thompsonの仲介で、大至急CaliforniaのDr. ParlowからAnti-FSH serumを分与してもらうことになりました。Madisonの空港に到着するには2日かかりますがChicagoのO’Hare空港には翌日到着するとのこと、翌朝6時Madisonの宿舎からDr. Thompsonの車でO’Hare空港まで出掛けてサンプルを受領し、大学の実験室に午後1時頃には戻ることができました。当日は夜遅くまでかかりましたが無事FSHの測定を進めることが出来ました。下垂体を採取するためにChicagoの屠場へ通ったDr. Greepや、R. K. Meyer教授らの若き日々の研究推進が体力的にもかなり大変なものであったことを実感しました。単に飛行場までの往復だけでも大変でしたが、この道すがら往時の人々の忍耐強い努力には頭が下がりました。
3. Inhibinのこと昭和46年12月、星冬四郎先生のお宅に帰国のご挨拶を兼ねて参上し、Madisonでの研究成績をご報告いたしました。その中で、排卵前後のラット血液中のFSH、LHレベルは、LHは一過性(3時間程度)のピークであるのにたいし、FSHは翌朝まで長時間(12時間程度)にわたって大量の放出が継続している事実の観察結果も話題となりました。先生も大変興味を惹かれたご様子で、先生が改版された島村・星の教科書「家畜生理学」にもこの内容をご紹介下さいました。当時は、胞状卵胞を維持するのに必要なgonadotrophinの量は、小卵胞を胞状卵胞に発育させるのに必要な量の約1/10量で済むこと、を報告したばかりで、inhibinのことは未だ念頭に有りませんでした。
Inhibinの問題をはっきり認識したのは昭和50年以降のことです。排卵前後にはFSHの持続的な大量放出のみならず、下垂体でのFSH合成活動も著しく旺盛で、下垂体の含有量は最初は減少するものの、FSHの大量放出下でも増加に転ずること等、排卵に伴って卵胞に由来するinhibin分泌の急激な減少が「抑制信号」の解除となってFSH大量放出と生合成に関与していることが次第に判明してきました。
昭和55年春には鈴木善祐先生が「排卵をめぐる諸問題」として家畜繁殖シンポジウムを主催され、FSH分泌とinhibin分泌問題を報告するよう指示がありました。日本の学会でinhibinが話題になったのはこの時が最初です。そして昭和62年春の本学会のシンポジウムは「インヒビン・現状と展望」としてinhibinの話題を正面から採り上げました。これも又本邦初演です。この年の5月にはSerono Symposiumが、10月には世界ヒト生殖会議が、何れも東京で開催され、私もシンポジストとして参加し、卵胞発育とFSH分泌に関連するinhibinの役割を講演しました。この頃には、inhibinは「仮説」ではなく、実在のホルモンとして広く認知されるようになりました。詳細は当時の会誌(シンポジウム号)をご覧ください。
1回の発情周期毎の排卵数は遺伝的に決定していることはご承知の通りです。若しFSH分泌量が多過ぎれば過排卵が誘起され、逆に基底レベルのFSH分泌を減少させるとその程度に応じて成熟卵胞数および排卵数が減少します。従って、下垂体は発育・成熟卵胞数を絶えずモニターしながらFSH分泌量を調節していることになります。即ち、インヒビンはこの卵胞数を伝える情報担体としての役割を演じていると見做されます。遺伝的支配(排卵数)が体液レベル(ホルモン分泌)にどの様にして及んでくるか、興味深い問題と思っています。インヒビンの問題に関連しては、東京農工大学獣医生理学教室の田谷教授、渡辺助教授の下で、分泌源である性腺局所での役割も含め、更に新たな研究が展開中です。
以上、私が直接見聞した本学会に関連する想い出を記しました。今道先生には現在も親しくお話を戴ける間柄ですが、私に上述の話をして下さり、また直接のご指導下さった先達の諸先生方は、既にみな鬼籍に入られました。慎んでご冥福をお祈り申し上げます。
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