留学体験記
米国The Jackson Laboratory
Patsy Nishina & Jürgen Naggert Lab.



加納 聖
東京大学大学院農学生命科学研究科
応用動物科学専攻応用遺伝学教室


【JRD2005年4月号(vol.51, No.2)掲載】


 2003年1月15日から2年間アメリカ合衆国Maine州のThe Jackson Laboratory(以下Jackson)において、Visiting Investigatorとして留学する機会に恵まれました。この場をお借りしてその時の体験や感じたことを書かせて頂きたいと思います。

リサーチビルディング
写真1:リサーチビルディング
数棟の低層の建物で構成されている。

 様々な種類のマウスの供給元で有名なJacksonですが、意外にどこにあるのか知られていないようです。実は私も行くまではよく知りませんでした。Maine州は東海岸の最も北にある州で、JacksonはMount Desert Islandという島の中のBar Harborという町にあります。この島の大部分はAcadia National Parkというアメリカの国立公園に指定されており、島の中で一番大きな町であるBar Harborは避暑地として有名で、冬期は人口5千人ほどなのですが、夏場は主にNew YorkやBostonなどの大都市から多くの観光客がやってきて大変賑わいます。国立公園だけあって、Jacksonの周辺は至る所に景色の美しい場所があり、また手つかずの自然が残っているため様々な野生動物が見受けられます。実際、運転中に道路を横切る鹿と出会うことがよくありました。Bar Harborの緯度は日本で言えば網走よりも少し高いくらいなので、冬は寒さが非常に厳しく、最低気温がマイナス20度以下になることもしばしばです。私がBar Harborに到着した1月中旬も非常に寒く、最初に宿泊したホテルでは暖房も余り効かず、このまま凍え死ぬのではと思ったほどでした。住居はJacksonから車で10分ほどの一軒家を借りることができました。大家さんのLarry、Phyllis夫妻はともにJacksonで働いており、最初は言葉もよくわからずにいた私にわかりやすく話をしてくれたり、また井戸の水が出なくなった時には家に泊めてもらったり、大変親切にしてもらいました。

私が使っていたベンチ
写真2:私が使っていたベンチ
基本的に日本のものと違いはないが、冷蔵庫が机の
すぐ脇に組み込まれていて非常に便利であった。

 Jacksonは大きくマウスを生産、販売するビジネス部門とリサーチ部門に大きく分かれ、リサーチ部門では様々な分野の研究が活発に行われています。研究室のボスにあたるPI(Principal Investigator)は約50名おり、私がお世話になったのは、ドイツ人Jüurgen Naggertと日系ハワイ人Patsy Nishina夫妻が共同で運営しているラボでした。ラボの構成員はテクニシャン7名、ポスドク6名(アメリカ人2人、オーストラリア人1人、中国人1人、韓国人1人、そして私)でした。このラボは東京大学農学部獣医学科の先輩である池田明弘さん、昌さんご夫妻(現Wisconsin University)に紹介して頂きました。Patsy-Jürgenラボでは主に眼の疾患と肥満病に関する分子遺伝学的解析が行われています。その中で、私に与えられたテーマは体のサイズが小さくなるミュータントマウスの解析でした。私は2種類のミュータントマウスの解析を任され、ひとつは自然発生的な劣性遺伝ミュータントマウス、一つはENUミュータジェネシスで作出された劣性遺伝ミュータントマウスでした。具体的にはポジショナルクローニング法を用いての原因遺伝子の同定です。ポジショナルクローニング法を用いての遺伝子同定はマウスの交配から始まり、大量のマウスを解析するため大変時間がかかります。近年マウスゲノムの解読も終了し遺伝子データベースも充実しており、原因遺伝子の存在する領域をある程度同定できれば、その領域にどのような遺伝子が存在しているか調べることができるので、以前と比較すれば容易に原因遺伝子の推測ができるようになりました。しかし、それでも最後の一つの遺伝子の変異を見つけ出すまでには時間がかかる研究には変わりません。私も2年間で一つのミュータントマウスの原因遺伝子を同定することができましたが、もう一つのミュータントマウスについては原因遺伝子の存在する領域をかなり狭めることができたものの、まだミューテーションの同定にはまだ至っていません。帰国後もJacksonのマウスを用いて共同研究を行うことになっているので、今後はミュータントマウスの原因遺伝子の同定と平行して、原因遺伝子と表現型の直接的な関連を証明していく予定です。私はまず表現型を観察し、そして遺伝子へと向かういわゆるclassicalなforward geneticsに興味があるので、Jacksonでの研究は今後の自分の研究のためにも大変勉強になりました。ただし、ポジショナルクローニングによってめでたく病態の原因遺伝子が同定されたとしても、それが既に解析が進んでいる既知の因子である可能性もあるので、ある程度のリスクを承知の上で仕事を進めていかなければなりません。Patsy-Jürgenラボでは、興味深いミュータントマウスがまだおり、それらのマウスもこちらに送ってもらう約束をしています。しかし、今年9月以降、哺乳類等の動物輸入手続きが非常に煩雑になるようなので、スムーズにこれらのマウスの輸入ができるかどうか現在心配しています。

 さて、よく言われていることですが、アメリカのラボでは研究をサポートする体勢が良く整えられていることを私も感じました。例えば、使用後の実験器具は専用のかごに入れておくと、数日後きれいに洗浄、滅菌されて戻ってきます。また、DNAシークエンス、RNA濃度測定、組織のパラフィン包埋、さらには切片作成ならびに染色、学会発表のためのポスター作成などのサービスもあります。これらは当然無料ではなくあらかじめ料金が決まっており、研究室のグラントから支払われることになりますが、かかる時間や費用のことを考えるとそれぞれがリーズナブルな料金設定であると思いました。

 アメリカ人の勤務スタイルはというと、私の印象として基本的に早く来て早く帰る、という感じでしょうか。Patsy、Jürgen夫妻も朝は9時に二人でやって来て、夕方5時に子供たちをデイケアからピックアップするためにラボを離れるという生活スタイルでした。ただ、やはりそれだけでは時間が足りないようで、子供たちがまだ寝ている早朝にも来て仕事をこなしているようでした。夜遅くまで研究所の中に残っているのはアジア系のポスドクがほとんどだったと思います。アメリカ人の働き方を見ていると、自分や家族のためにより多く時間を使うために、ラボにいる時間内に効率よく仕事をこなしている印象を受けました。

マウスルーム
写真3:マウスルーム
交換用あるいは使用済みのケージやふた、
給水瓶が所狭しと置かれている。

 次にJacksonのマウス飼育室についてお話しします。Jacksonではとても素晴らしい設備でマウスを飼育しているのでは、とお思いの方もいらっしゃるかもしれませんが、一般のミュータントマウスはSPFの環境では飼育していません。研究室からは土足のまま入室します。さすがに入室時には専用の白衣、手袋、帽子は着用ですが、それ以外は特に厳しくはありませんでした。基本的に床敷き替え、水やえさの補給は専門の職員の方々がやってくれるので、私がやるのはマウスの親からの離乳、引き離し、殺処分などだけでした。日々専門の方々がマウス室内を掃除してくれるので、室内は非常に清潔に保たれていました。さらには親からの離乳時期をラベルで教えてくれたり、マウスの健康状態も随時チェックしてくれるので、マウスを大量に飼育している立場としては大変助かりました。

 仕事の進め方ですが、Patsy-Jürgenラボでは、ポスドクでもテクニシャンでも一人一人が独立したテーマでそれぞれ実験をしていました。ですので、PatsyとJürgenも一人一人の実験の進捗状況を把握するのは大変です。2ヶ月に1回ほどラボミーティングで発表の順番が回って来ますが、それだけでは足りないので、個別にPatsyとJürgenとテーブルの前でディスカッションをすることになります。

 Jacksonでは様々な分野、テーマに関するmeeting、workshop、またgeneticsを外部の人にわかりやすく講義するshort courseというものが毎年開催されており、私も一部参加して講義を聴きましたが、JacksonのPIたちが入れ替わり立ち替わりレクチャーをしていました。また、研究室横断的に分野ごとのセミナーが定期的に開催されて、ポスドクやPIが自分自身の研究に関する最新のデータの発表を行い、その質疑応答は非常に有意義なものでした。また著名な研究者を招待してのセミナーも開催され、ノーベル生理学医学賞受賞者のシドニー・ブレナー博士が来られたときにはセミナー後の若手とのランチタイムがもうけられました。その時私も博士と少しだけ話をさせて頂いたのですが、私の研究に興味を持って聞いて頂いたことは非常な励みになりました。

ラボを去る日
写真4:ラボを去る日
ケーキを切り分けているところ。その日の中心人物がみんなのためにケーキを切り分けることになっている。左端、手ぬぐいをかけているのがボスのPatsyとJürgen夫妻。

 Jacksonは規模としてはさほど大きくない研究所なので、全体的に非常にアットホームな雰囲気があり、所員やその家族のために様々な行事が催されていました。また研究所のトップであるdirectorは良く所内を歩いており、所員にもフレンドリーに声をかけていました。またPatsy-Jürgenラボでもメンバーの誕生日にはサプライズでケーキを用意してみんなで祝っています。

 さて、私がJacksonで最も感銘を受けたのは“Genetics is key to human health”という言葉です。Jacksonのパンフレットやホームページにはこのようなポリシーがあちらこちらで見受けられます。私はこれまで自分の研究が何かの役に立つかということは余り深く考えていませんでしたが、やはり貴重な研究費を使ってgeneticsをやるからには、自分たちの研究による発見が人間の福祉健康にも少しでも貢献できるようにしたいと感じました。

 最後になりますが、2年間もの長い間留守を許して頂いた、筆者が所属する研究室の東條英昭教授、内藤邦彦助教授、研究室の皆様にこの場をお借りしてお礼を申し上げます。

 The Jackson Laboratory ホームページ: http://www.jax.org/


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