追悼の辞

昨秋より本年の初めにかけて、日本繁殖生物学会(家畜繁殖学会)の元会長で、名誉会員でもあられた三名の先生方がご逝去されました。本学会を支えてこられましたこれらの先生方を失うことは痛恨の極みであるとともに、我国の繁殖生物学にとりましても大きな損失であります。三名の先生方にゆかりの方々からご功績を振返り、先生方を偲ぶお言葉をいただきましたので、ここに掲載し、哀悼の意を表したいと思います。

日本繁殖生物学会理事長 佐藤英明

【JRD2005年2月号(Vol. 51, No. 1)掲載】


故 山内 亮 先生
追悼の辞

山内 亮先生は2004年(平成16年)9月19日にご逝去されました。享年87歳でした。先生は1941年に東京帝国大学農学部獣医学科をご卒業後、東京大学農学部副手を経て農林省へ入省され、家畜衛生試験場中国支場長、家畜衛生試験場研究第三部長を歴任されました。この間、米国コーネル大学に留学されておられます。1973年8月から1978年3月まで東京大学農学部教授(家畜外科学)、1978年4月から1985年3月まで日本獣医畜産大学教授(獣医臨床繁殖学)を勤められました。

山内先生のご専門は臨床繁殖学で、大家畜の繁殖生理ならびに繁殖障害に関する基礎的・応用的研究の進展に心血を注がれました。最初のお仕事は時代を反映して馬(軍馬)の繁殖研究に取り組まれ、その後、雌牛の繁殖生理研究に携わられ、卵巣嚢腫等の卵巣疾患、子宮内膜炎に代表される子宮疾患等、いわゆる繁殖障害の発症原因とその治療に関する研究に多大の貢献をされてきました。昭和25年以降の乳肉用牛の増産強化に伴う不適正な交配に起因するトリコモナス病やブルセラ病の発生、乳牛の高能力化や飼養管理の失宜による卵巣嚢腫の多発等の臨床現場において大きな問題となっているテーマに精力的に取り組まれ、昭和34年に「牛の卵胞嚢腫に関する研究」で日本農学賞を、翌年の昭和35年には農林大臣賞を受賞されました。

また、山内先生は、1948年に黎明期にあった国内家畜繁殖研究のリーダーのお一人として、農林省畜産局衛生課等と連携して家畜繁殖研究会の設立に寄与されました。家畜繁殖研究会は家畜繁殖学会に格上げされ、1995年からは日本繁殖生物学会と発展的拡大を遂げ、会誌名も家畜繁殖研究会誌、家畜繁殖学雑誌、JRDと名称を変えて英文誌・和文誌の発刊に至りました。さらに、日本獣医学会臨床繁殖分科会に於かれても産業家畜の繁殖障害の克服を目指して種々のご提言をされ、日本繁殖生物学会ならびに日本獣医学会の名誉会員として多大の貢献をされ、2004年には従五位瑞宝双光章を授与されています。

先生は、絵画を趣味とされました。まだ超音波診断装置がない時代に直腸検査法で牛の卵巣変化図を丁寧に書かれ、実寸大であることに驚かされたものです。その観察力を持って学会等で出張された先々で、余暇を見ては精細緻密なスケッチされ、それを基にペン画、水彩画、油絵を制作されました。コーネル大学留学中に書かれた建物や風景のペン画はすばらしい作品です。日本獣医畜産大学をご退職後、銀座等で数回の個展を開かれ、楽しそうに解説されるお姿が印象的でした。先生はまたお酒をこよなく愛され、昔は渋谷で酒を飲んで本郷まで馬に揺られながら帰れました、馬は眠りこけている飼い主をちゃんと連れて帰る賢い動物ですよ、とか晩酌は薩摩の芋焼酎に限るとよく言われていました。

山内先生は獣医学、畜産学を中心に学術の発展に心を尽くされましたが、海外との研究交流にも熱心に取り組まれ、現在、中華人民共和国内蒙古大学学長の旭日干先生をはじめ、多くの海外研究者の日本への招聘と学位指導にあたられました。

先生の愛情とユーモアあふれるお人柄と語り口は万人に幾多の感銘をお与えになりました。これからも研究面や人生観等で、多くのご指導を仰ぎたかったのですが、それが叶わなくなり残念でなりません。今頃は天国で最愛の奥様と再会され、また、鈴木善祐先生や中原達夫先生ともども我々を暖かく見守っておられることでしょう。謹んで、ご冥福をお祈り致します。

(農業・生物系特定産業技術研究機構九州沖縄農業研究センター 假屋堯由)


故 中原達夫 先生
追悼の辞

日本繁殖生物学会名誉会員 中原達夫先生は、脳硬塞で入院加療されておりましたが、平成16年10月27日肺炎のため逝去されました。享年79歳でした。

中原先生は1945年に旧制松本高等学校を卒業されて東京大学に入学、1951年に同大学農学部獣医学科を卒業後、同年6月に農林省家畜衛生試験場(現、独立行政法人 動物衛生研究所)に奉職されました。その後、1954年に同場中国支場に配置換え以来、家畜の繁殖に関する調査・研究ならびに後進の育成に従事されました。中国支場は当時わが国の牛の臨床繁殖学研究の中心的存在であり、1967年から同支場研究室長として研究を推進されました。同支場の廃止に伴い1971年8月に家畜衛生試験場研究第三部保健衛生研究室長に配置換えになり、1977年4月からは新設された飼料安全性研究部長として勤務されました。その後、1981年2月からは同省畜産試験場(現、独立行政法人 畜産草地研究所)繁殖部長に就任、同省の繁殖研究を統轄され、1986年3月に定年退官されました。この間、1967年5月から米国コーネル大学獣医学部に家畜の子宮―卵巣系の調節機構に関する研究のために6ヵ月間留学されました。退官後は、1986年4月に東京農業大学総合研究所嘱託教授、1987年4月には同大学大学院指導教授を勤められ、1996年3月に退職後、2001年3月まで同大学客員教授を務められました。

先生は、家畜繁殖および家畜臨床繁殖学の基礎から応用分野で精力的に研究を進められました。その研究は、牛における性ホルモンの血中動態、子宮内膜炎の発病機序、牛における性腺刺激ホルモンに対する抗ホルモン、牛における子宮・卵巣系の調節機構、卵巣静止牛のホルモン療法、家畜の発生工学と広範囲にわたり、挙げられた功績は多大で、畜産・獣医学および繁殖技術の進歩発展に大きな貢献をなされました。当初の「牛における抗胎盤性性腺刺激ホルモンに関する研究」により1961年11月に東京大学から農学博士の学位を授与されました。また、特に、1960〜70年代に行われた牛の黄体退行因子(プロスタグランジンF)と発情同期化法に関する一連の研究成果は、黄体退行機構の解明と発情同期化技術の発展に大きく貢献し、国内外から高く評価されております。

先生は家畜繁殖学会(日本繁殖生物学会の旧称)会長、東日本家畜受精卵移植技術研究会会長、家畜繁殖技術研究会(日本胚移植学会の旧称)副会長を努められ、また、日本獣医学会理事、日本畜産学会理事、日本不妊学会評議員等の要職を歴任され、日本繁殖生物学会、日本獣医学会、東日本家畜受精卵移植技術研究会の名誉会員に推戴されました。先生は、畜産学の役割は安全な畜産物の供給、家畜臨床繁殖学は家畜の疾病防除による生産性の向上とのお考えを基に、家畜の生産を重視した研究および後進の育成に情熱をもってご尽力されました。先生のご功績に対し、1962年4月に「牛における抗胎盤性性腺刺激ホルモンに関する研究」について家畜繁殖研究会佐藤賞、2000年4月に「子宮・卵巣系の調節機構に関する研究」について日本獣医学会越智賞、2001年4月に「家畜の繁殖機能に関する臨床繁殖学的・内分泌学的研究並びに後進者の育成」について西川畜産奨学財団から学術研究功労賞が授与され、さらに、ご逝去後の2004年12月に瑞寶小綬章が叙されました。

先生の学問、研究に対する斬新な着想、深い洞察力、情熱、使命感、厳しさ、ならびに、人と人との関係を大事にされる包容力のあるお人柄、事に対する毅然とした姿勢は多くの方々に感銘と親しみを与えてきました。先生にはこれからも永く大所高所からご指導を賜りたいと思っておりましたのに逝ってしまわれ、惜別の念を禁じえません。ここに、中原達夫先生のご功績を称え、ご貢献に深謝し、心よりご冥福をお祈りいたします。

(東京農工大学大学院共生科学技術研究部 加茂前秀夫)


故 鈴木善祐 先生
追悼の辞

東京大学名誉教授 鈴木善祐先生が平成17年1月4日にご逝去されました。享年85歳でした。

鈴木善祐先生は1942年に東京帝国大学農学部獣医学科をご卒業後、同大学院を修了され、1948年から東京大学農学部助教授、1968年から同教授として家畜生理学教室を担当されました。この間、1957年から1959年まで、アメリカ合衆国ユタ州立大学医学部生化学教室で研究をされています。さらに、1979年に東京大学を定年退職された後、1985年まで明治大学農学部教授を務められました。

鈴木先生は生殖生理学の分野で多大な功績を挙げられました。1950年代には精巣アンドロゲンは近傍標的には血流を介することなく直接作用するという、今日の傍分泌にも通じる概念を早くも国際誌(Endocrinology)に発表されています。さらに、精巣静脈血、卵巣静脈血の採取法を確立され、ペーパークロマトグラフィーでテストステロン、プロゲステロンの分泌動態を世界に先駆けて解明された研究は高く評価されています。また、卵巣嚢内や精巣内に検体を投与して性腺刺激ホルモンを定量するバイオアッセイを開発され、内分泌学の発展にも大きな貢献をされました。

鈴木先生は家畜繁殖学会(日本繁殖生物学会の前身)会長、日本内分泌学会欧文誌(Endocrinologia Japonica)編集委員長など、国内外の多くの学会において要職を歴任されました。そして、日本繁殖生物学会をはじめ、日本獣医学会、日本内分泌学会、日本比較内分泌学会、日本アンドロロジー学会などの名誉会員に推挙されております。鈴木先生は獣医学、畜産学、医学など学際的な分野で学術の発展に尽力され、研究ならびに後進の指導に熱心にあたられましたが、これら一連のご業績に対し、1974年には「生殖系ホルモンの作用機序に関する研究」で日本農学賞、読売農学賞を併せて受賞され、さらに1993年には勲三等旭日中綬章を受章されています。

私事ではありますが、私はやはり本学会の会員である汾陽光盛先生(北里大学)とともに、鈴木先生のご指導で大学院修士課程を修了した最後の学生となりました。直接ご指導いただきました期間は決して長くはなかったかもしれませんが、生物学には理屈があるということを理解させていただいた素晴らしい講義に感銘を受けたこと、汾陽君と二人でご自宅にお伺いして修士論文の添削をしていただいたこと、釣りに連れていって下さったり映画の招待券をいただいたりしたこと、お正月にご自宅に招待していただき研究室のメンバーと楽しい時間を過ごさせていただいたことなど、研究から日々の生活に至るまで大変お世話になったことが懐しく思い出されます。鈴木先生から賜った数々のお教えやお言葉は今もなお私共の研究の、あるいは人生の糧となっています。これらを少しでも次の世代に伝えていくことができればと思っています。先生にはこれからもまだまだ多くのことをお教え願えればと念じておりましたが、他界されてしまったことは誠に残念で、惜別の念を禁じえません。心からご冥福をお祈り申し上げます。

(東京大学大学院農学生命科学研究科 西原真杉)


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