─ コメンタリー ─
ままならぬイヌの繁殖歴30年 日本動物専門学院 理事長 |
はじめに
健全な肉体と精神を併せ持って、観賞用に優れたイヌを繁殖すること。世界公認犬種約330種の、せめて3犬種くらいについてはスタンダードにより近いものを常に効率よく繁殖すること。一般顧客が必要とする時に、供給出来る繁殖体制を整備すること。特定の犬種に多く見られる親から引継がれる皮膚病の解明。被毛の抜けない犬種を作ること。毛色の違いによる不健全な個体差の解明。以上の6項目の達成を目指しながら30有余年、イヌの繁殖に係わってきましたが、未だ全ての項目において道半ばどころか、ますます泥沼化の繁殖歴であります。そのようなこともあって、題名は「泥沼の繁殖歴30年」とするのが正しいのかも知れません。
日本動物専門学院の学長である紺野耕先生(元日本獣医畜産大学学長)のご紹介により、日本繁殖生物学会のことを知り、理事長の佐藤英明先生と話をする機会がありました。その中で佐藤先生から突然、学会誌にイヌの繁殖について何か書いてほしいと申し渡されました。私自身、実際のところ、科学に弱い人間でありまして、雑誌ならともかく学会誌に書くなどとは考えられませんと辞退いたしましたが、とにかく書くはめになりました。今回書きます事柄は全て私の未熟な経験の中で生じた疑問でして、解決できましたら、もしかして日本一のイヌのブリーダーの呼称を得ることができるかもしれないと思うとともに、わが国をイヌの輸出大国に押し上げることも夢でなくなるのではないかとも思っております。
1 健全な肉体と精神を併せ持つ観賞用に優れた犬種の繁殖
わが国においては、1970年代後半からイヌをペットとして飼うことが広まってきました。それまでは一般の方々が、繁殖に係わり、生まれた子イヌを近くの方々にあげたりしておりましたが、イヌの飼育の広まりにともなってイヌの生産が組織的に行われ、商品として売買されるようになりました。イヌの生産が二極化してきたともいえます。その中で生産者も飼育者もイヌの健全な肉体と精神に対して配慮が十分でなかったように思います。すなわち、貧しい時代からいくらか余裕のある時代に突入した時代の後半に集中的にペットの飼育者が増えたことにより、イヌが本来持っている健全性への配慮が欠けていたことが原因のように思います。特に、専門のブリーダーがいない時に突発的に二、三の犬種が売れたため、計画的ブリーディングを行うことを忘れられていたことも大きな原因と考えられます。
2 「シェルティ」の繁殖と反省
1980年代前半では、人気犬種のシェットランドシープドッグが約8年間、柴犬に変わり圧倒的人気の犬種になりました。略して「シェルティ」と呼び、コリーを小さくした犬種でイギリス、イングランド地方シェットランド諸島が原産です。牧羊犬として飼育されてきた極めて飼育しやすい日本の気候風土に適した犬種です。熱帯地方には不向きのようです。筆者の若い頃、これが将来、柴犬に代わり必ず日本で人気犬種になると予測して、シェットランド諸島まで見学に行ったことがあります。ふきさらしの断崖絶壁に囲まれた不毛の地帯とでも表現しても良さそうなところで牧羊犬として飼育されていました。しかし、日本に入って来たシェルティとはとても似つかない、一般外貌は全く洗練されていない野生味たっぷりの犬でした。荒涼とした大地にあらゆる木々は強い風の下で地べたにはいくつばって、それでも尚、天を目指し成長しようとしている姿は正に感動でした。この地域で作られたイヌであれば、さもありなんとも思い当たりました。
何を思い当たったかというと、まず体高が33センチと低く作られ、1日中吹きまくる風の中で羊の群れに聞こえるように高音で間断なく吠え、い首にして背を丸め、強靭な足腰で走りまわっており、毛質は硬く荒く、下毛は綿のように十分に密生し、どんな天候でも平然と作業に耐える体形に作られていたからです。この姿を見て直感的に日本でペットとして飼育するには問題があるなと考え、その時は輸入しませんでした。しかし、それから何年か後、アメリカから、どんどん輸入され日本中に広まりました。アメリカから来た犬はショードッグとして繁殖され、洗練された素晴らしい犬達でした。ただし、日本のブリーダーは、メスを同時に購入しないため、輸入したオス一代限りで後が続かず、10年近く人気を博しましたが、国産で良いものがなかなか出来ず、常にアメリカから輸入せざるを得ない状態でした。その結果あっという間に血統は行きづまり、欠陥だらけの犬を多く繁殖することになりました。もともとコリーと区別する意味もあり、体高は41センチまでと決まっていましたが、実際にはサイズの固定は出来ませんでした。また、インブリードが多くなったために極端に小さい犬が多くなってしまいました。
筆者も成犬で体高28センチのメスを繁殖し、7年間飼育した経験がありますが、このメスは5代祖の血統の中に父親母親ともに同じ種オスが2箇所づつ配置されていた。これを見た時、もしかしたら新しいサイズ(25センチ以下)のイヌを固定することが出来るのではないかと思い、繁殖を試みましたが、とうとう子供はできませんでした。その原因は、メスイヌの性器があまりにも小さく、オスイヌの交尾器を受入れることができないため、自然交配が無理であったためです。人工授精を3度試みましたが、3度とも受胎せず失敗に終わりました。メスイヌの性器の小ささは、生殖機能の未成熟に原因すると思われましたが、解決策を見出せずこのイヌの繁殖を諦めてしまいました。今日においても、このような原因によって、貴重な品種の繁殖ができず困っているブリーダーが多くいることも事実です。今でも、その時、子どもをつくることができておれば、珍しいサイズのシェルティを作出できたのではと思っております。30年の繁殖の経験の中で残念に思っていることです。今ならクローン等の技術を用いて作ることが出来たかも知れないと思うと残念に思えてなりません。
それでは、次に私のでき得なかったこと、又わかっていてもブリーディングによる欠点の修正ができなかったことなどを紹介します。
3 ブリーダーからみたイヌの繁殖の課題
シェルティにおいてショー用の犬を作出することにはいくつかの問題があります。アウトブリーディングではサイズは全く一定せず、また一腹で生まれる平均の頭数は3〜5頭でしかありません。シェルティは体高41センチと定められているので、どうしてもラインブリードによって作出するのが望ましいため、オス・メスともに5代祖の中で、各2箇所は最低でも5代祖のもとに成った優秀な種オスを使うのが通常です。ただし、ラインブリードが行きづまらないようにするには、優秀な台メスを少なくとも20頭位は持つ必要があります。そうでなければ、あっという間に行きづまり、インブリードになってしまいます。このインブリードが進みますと、まず、毛色の退化が現れます。シェルティの毛色はトライカラー、セーブルアンドホワイト、ブラックアンドホワイト、ブルマールとなっております。セーブルとは、レッドの毛先に黒が入る毛色のものをいいますが、インブリードが進むにつれ、黒の部分が抜け、レッドのみの一色毛になります。この段階はまだ良いのですが、その後、子供、孫になるにつれ色素がうすくなります。瞳も鼻鏡も黒く、更にツメやパットも黒いのが望ましいのですが、黒い部分が失せ、肉色になったり、あるいは毛色は一段と薄くなり、ホワイトの毛が全体的に多く見られるようになります。これが進行すると体全体の50%ほどにホワイトが入るようにもなります。深刻な問題となると同時に、ブリーダーにとって不名誉なことになります。こうなるとシェルティはショードッグとして、失格になります。更に退化が進みますと陰睾丸(潜在睾丸)を示す雄が多くなります。一度、5代祖の中に陰睾丸の子供が出ますと、その血統において極めて高い確率で陰睾丸のオスが生まれてきます。ブリーダーとしては致命的な不名誉な評判が世間に知れ渡たってしまいます。
一方、シェルティにおいては、インブリードが進みますと上顎骨にオーバーショットが見られるようになるのも特徴です。シェルティは、最近、人気がなくなってきました。この人気の低下の原因は、昭和20年代後半〜30年代前半に流行したスピッツと同じようによく吠えることにあるように思います。インブリードが多くなり、これが原因となって種々欠点が見られるようになりましたが、決定的な要因はうるさく吠えるような子どもが増えたことにあります。かって私は、インブリードによって生まれた子犬の特徴を調べたことがありますが、一様に胸骨の張りがなくなり、マズル(口吻)が細くなっておりました。「下顎が薄くなる」と表現する方が正しいかもしれませんが、頭部が標準より細くなると神経質になり、気狂いのように昼夜関係なく年中吠えまくるようになります。これが最大の欠点であることがわかりましたが、これをしつけで直すことは無理でした。「頭の狂った」イヌともいえます。しかし、そのイヌを使ってブリーディングをしてみて解ったことですが、性格の静かなオーバーサイズのアウトブリードのオスイヌと交配すると、荒々しい動作と気狂いのように昼夜鳴きつづけることはなくなりました。ただし、完全なアウトブリーディングを2代に渡って行ったため、表情、サイズ、毛色、骨格形成がすべてバラバラのイヌ達が生まれる結果となってしまいました。
もう一犬種、トイプードルのブリーディングについて紹介します。トイプードルは、体高26センチ位が望ましいといわれております。毛色には、ホワイト、ブラック、シルバー、ブラウン、アプリコット、クリーム等があります。毛色の制限は厳しくありませんが、全て一色毛でなければならないとされています。眼はアーモンド型、容姿は気品に富んだ風貌を備え、スクエアの体構で均整のとれた犬種で、この外貌がプードルのスタンダードです。よりスタンダートに近いイヌをブリーディングすることがブリーダーの夢でもあります。この原稿を書いている今(平成14年の12月中旬)、私が30年余りに渡ってブリーディングに携わってきた中で、初めてわが国でプードルのブームがおきております。現在、私の専門学院ではトイプードル50数頭が在舎しております。これらは、様々な血統をもっておりますが、私は、これらを用いてブリーディングを行っております。外観と毛色については、経験によってスタンダードにより近いプードルを作り出すことができるようになっております。しかし30余年の繁殖経験をもってしても解決できない問題があります。次のようなものです。シルバーの毛色は26センチサイズの規定にほど遠く、ボディはたるみが有り、足の短い胴長の犬が多く生まれています。アプリコット、ブラウン、クリームの毛色は一様ですが、後肢が長く、背線は腰高で被毛の貧弱さは目を覆うばかりであります。プードルの頭部は、丸みを呈しマズルとスカルの長さは等しいのが理想です。シェルティについても述べたように、ラインブリードでもアウトブリードも上記の2つの問題は解消されておりません。更に皮膚の色の理想は、ダークスキンもしくはピンクスキン一色ですが、明るい毛色になるにつれ、ピンクスキンにまだら模様が入ったり、ダークの色が消滅したりと、なかなかスキンの色も一定に作り出すことができません。全く歯がゆい思いばかりしております。理想の愛犬を効率よく作り出すことを目指しておりますが、たまに素晴らしいイヌ達が、確率18%位の割合で生まれてくることがあります。この18%のためにブリーダーを止められず、不確実性に賭けている自分へ密かに拍手を送っているこの頃であります。
つたない経験の一部を書かせて頂きましたが、諸先生方の御指導を頂き、愛玩動物の代表でもあるイヌのブリーディングに励んで行きたいと思います。最後に、私が理事長をしている本学院は動物のトリマー、看護師、訓練士、動物介在福祉士等を養成する専門学院です。現在、在校生は約430名で、モデルイヌ48種1700頭を確保しております。過去21年に渡り、レベルの高い技術者を送り出し続けてきましたことを誇りとしております。
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