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豚の食用以外の新たなる付加価値 小林 英司 |
【JRD2002年6月号(Vol. 48, No. 3)掲載】
はじめに
昨今、狂牛病のあおりで豚が食用として相対的に人気がある。しかし、家畜豚とてすべての感染性疾患に対して安全であるとは限らず、家畜の疾病を予防し生産性を高めることを学問とする畜産学や家畜臨床繁殖学領域は今後とも益々重要である。一方、豚肉の国内市場だけを考えても外国産の安い豚肉や英国等から輸入される改良豚のように極めて風味が良くなった豚肉に対する経済的対応も急務である。
わが国の家畜豚は、通常年2.2回分娩し、1回の妊娠で約10匹の仔ブタを出産する。約4ヶ月で離乳をし、体重も20〜30 Kgとなる。その間、成育が安定するまでに1割弱の個体数が減じ、約6ヶ月で成豚として市場に出回る。豚肉の市場価格は、前述した外国産のものや牛肉などの食肉市場に影響され、大きく変動をしている。そのため市場価格を一定数とし、成豚が通年的に維持管理されるためには、目標数の成豚数を設定し、それより多くの仔豚を生ませ市場に応じ、その個体数をコントロールするという考え方がある。しかし現在の所、この個体数コントロールは計画的に行なわれているわけではなく、哺乳期における発育不良な豚などの「間引き」と言われるように密殺行為として公的なものとなっていない。
一方、医学分野では、医療ミスなどがマスコミに大々的に報じられ医療不信が後をたたない。そこには、医師の基本的な知識の欠落や技術不足から起因しているものも多い1)。医療技術の修練は繰り返し行い、正確に技術を取得することが必要である。そのような技術トレーニングには、体サイズや解剖学的にヒトに類似した動物で練習することが必要である。しかし、昨今、動物実験に対する社会的批判が多く、これを解決するための論議が盛んになされている2)。欧米諸国における動物観は、単なる動物保護(animal protection)から動物福祉(animal welfare)、そして動物にも生きる権利や苦痛から逃れる権利があるとする動物権利(animal right)へと変化してきている。我が国における動物観は神道や仏教に基づく慈愛的なもので、動物保護的なものである。しかし、欧米における影響をうけ徐々に変化してきている。そして近年、各県の保健所で捕獲された野犬が譲渡され実験犬として数多く使用されてきたが、それが禁止される方向の動きに結び付いている。
著者らは近年の動物福祉的見地から愛玩動物と実験動物を明確に区別する目的で譲渡犬の実験使用を積極的に中止し、その代替として家畜豚を利用することを推奨してきた3,4)。本稿ではこれまで著者らが行なってきた食用以外の家畜豚の利用について紹介する。家畜の実験動物としての位置及びその趨勢を解説し、医療技術のトレーニング用に家畜豚を使用する際の農学分野への影響を著者らの調査結果を基に述べた3)。さらに、国家的なピッグセンターが実動した際、新たに生まれるわが国独自の医療機器産出システムへの期待について解説した。最後に家畜豚や実験豚とは異なる新たなカテゴリーを必要とする「治療用豚」について解説した4)。
図1 動物の一般的分類
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家畜動物と実験動物の整合性
動物は、一般的に野生動物と飼育動物に大別できる。さらに、飼育動物は終生飼育と非終生飼育に区分される(図1)。昭和48年制定の「動物の愛護及び管理に関する法律」(法律第105号)さらに、昭和55年総理府告示の「実験動物の飼養及び保護等に関する基準」(第6号)により実験動物の法的な規定がある。これはある意味ヒトに誠に都合の良い話であるが、ヒトが動物を食べたり、疾病等から免れ生きるために代替として犠牲になる動物の存在に正合性を持てるよう定義している。この分類は、愛護動物や展示動物に対しては、愛情を持ってヒトが終生飼育する義務を課している。したがって、伴侶動物が飼育義務のある者から離れ、野性化した際でも実験動物として使用することは極めてヒトの身勝手であるとする考え方になる。これに対し、初めから産業動物として飼育された家畜を実験動物として用いることは、その倫理的問題が低いことになる。わが国における実験動物の確保と動物福祉の現状を考えると家畜豚を実験豚と定義することは妥当と考えられる2)。また家畜豚はヒトと類似する点が多く、ヒトを模倣する実験に適している(表1)。しかしながら蛇足となるが、むやみに家畜動物を実験使用することなく実験者による自己規制は絶え間なく必要である5)。
我が国における実験動物数の推移
わが国の現状における実験動物の種類の変化を、日本実験動物学会及び実験動物使用調査ワーキンググループ報告書よりまとめた3)。得られたデータをもとに昭和61年より平成10年までの実験使用された犬及び豚の年次推移としてそれぞれ図2及び図3で示した。また、昭和63年のものを1.0として、各種使用動物の変化率をまとめたものを図4で示した3)。平成2年までは7万頭以上の犬が実験に使用されてきたが、平成2年を境に急激にその使用数が低下している(図2)。その原因の一つに平成2年に起きた国立療養所村山病院事件の関与が推察される。これは整形外科医師が病院附属の動物実験施設で譲渡犬を使って脊椎損傷の実験を行なっていたが、その実験動物が動物愛護団体により連れ出されマスコミに報道されたものである6)。さらに近年、動物福祉の考えが広まり始め、譲渡犬と実験犬を明確に区別すべきとしている。関東圏では東京、千葉、神奈川、埼玉が譲渡犬の実験の使用をすでに禁止している。一方、実験使用された豚は昭和63年から平成7年までは5〜6千頭だったが、平成10年には1万1千頭を超えている(図3)。豚は特に肝臓、膵臓さらに小腸などの腹腔臓器がヒトと類似するところから移植研究などに頻用され、医学系雑誌等に多数報告されている2)。
図2 本邦において実験用に使用された犬の匹数(文献3より)
図3 本邦において実験用に使用されたブタの匹数(文献3より)
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医科大学附属動物実験施設と養豚農家の連携
著者らは、家畜豚を医学実験に使用し、近年の譲与犬の動物実験使用禁止への対応を図ることを推奨してきた2)。その際の農業分野への影響についても平成13年度から2年間の予定で調査研究を行なっている3)。栃木県には2つの医科大学があり、平成4年以前は犬を用いた実験がそれぞれ年間400〜500頭行なわれてきた(図5)。平成4年以後は、前述の動物福祉の考え方から譲渡犬数を漸減し、平成15年度以後は、譲渡を打ち切る予定となっている。当大学での家畜豚の実験動物としての使用は、ここ2〜3年は40〜50頭前後である。これまでの譲渡犬の実験数に比し、使用数が少ない理由として現在の施設では学内での生存実験が困難で、急性期実験しかできない所に起因している。また、最近の医科学分野での論文業績の評価が分子生物学などを用いたメカニズムの研究が趨勢を占め、ヒトを意識した大動物を用いた手術技術に依存するように報告が少なくなっていることも影響があると思われる。現在の調査結果では、仮に単一の医科大学が大動物実験をすべて家畜豚を使って行なったとしても、数百頭にとどまることが予想される。この規模においては、医科大学近隣の2-3の養豚農家に参入してもらうことだけで、実験に必要な豚は確保できると思われる(図6)。特殊豚を使用せず家畜豚をそのまま利用するのであれば、大学内の施設で豚を繁殖する必要はない。そして家畜豚の自然発育の速さを考えれば数週間前後の生存実験を行なう動物管理施設があれば、亜急性期実験等には十分対応可能であろう。今後、実験動物としての検疫体制が必要である。また参入する養豚農家の規模や食肉価格を考慮に入れ、実験豚の価格を適正化する必要がある。
図6 現在の医学部動物実験施設と隣接する養豚農家との連携(案)(文献3より) |
医療機器開発の基盤となる豚実験
さらに医療産業という経済的視点からブタシステム作りを考えてみよう4)。21世紀はポストゲノム医療に代表されるように遺伝子情報やナノテクノロジーなどこれまで経験しなかった情報量や技術を使いこなす必要がある。現在の医療機器の世界市場は約20兆円で、その内訳は米国が42%、欧州が27%、日本は15%である(図7)。国内市場を見ると、人工臓器、治療用カテーテルなどが最も規模が大きい。しかし、その70%以上が外資企業のものである(図8)。このように現在、国内において医療産業として最も市場性の大きい人工臓器や治療用カテーテルなど高度先端医療分野の医療機器開発が育たない理由に、我が国の産学連携の弱さや論文重視主義のあまり医療者側の研究者に開発力が育たないことが推察されている。これを打破するためには、積極的に産学間連携がとれるシステムの整備が必要である。
図8 各種ME機器の国内外企業のシェア度
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著者らは前述のピッグシステムを「栃木新事業創出促進基本構想」(平成12年7月栃木県策定)に基づき、重点分野に係る商品化及び新事業等の実現の可能性として調査検討している3)。これまでも医科大学では家畜豚が実験に供与されてきたが、麻酔導入から実験終了後の動物処理まで実験者個人が行っていた。しかも、前述のように多くの医療サイドの研究者は、臨床上のニーズには精通していても、時間的、経済的に独自で医療機器を開発できる状態にない。そこで本調査研究開始後、事務職1名、研究補助1名を補充し組織的に豚実験を開始し、医療機器の有効性や安全性に対する研究を中心に検討を行なっている。平成13年度は、臓器移植チームが抗凝固コ−ティングチューブによる新しいバイパスチューブを検討した。そしてこれまでのようなローター式ポンプを必要としない安全性の高い内シャントチューブを開発した。また、周術期管理チームは、ME機器などの開発を行った。また前述のチューブを使い無肝ブタを作成した上で、麻酔薬の無肝臓における安全性を検討した。さらに同チームは新しい気管切開チューブの気管に対する損傷の検討や硬膜外内視鏡開発を手がけている。救急医学チームや地域医療チームは医学教育におけるブタの利用法を検討し、医学教育における必要性、重要性を報告した3)。本ピッグシツテムは開始後まだ6ヶ月程度であるが、極めて多くの臨床的ニーズが医療開発に直接反映されている。
今後開発の対象となる医療材料や機器として手術機材や手術用針や糸などが挙げられる。現在のところ、これらはほとんどが外国製のものである。繰り返しになるが、その理由は、我が国の医療者側のニーズがこのような手術用品の開発・改良に反映されていないことも挙げられている。我が国の工業技術からすれば、医療側の意見をもっと直接的に反映すれば極めて良質な製品ができよう。今後、医学部附属の研究機関で本システムのようなものが構築されれば、多くの企業が能率よく医療用品やME機器などの開発ができる4)。また、内視鏡下手術等で使用するデスポーザブルの内視鏡手術機器開発の分野においても極めて展望がある。現在使用されているほとんどのものは米国製で、今後日本での開発は国内市場のみでない。すでに我が国でも、自動吻合器等の普及を図るため豚を利用したトレーニングセンターがあるが、外資系会社が所有している。そこでは、トレーニングを希望する医師が利用しているが、豚一匹の使用にあたり術前、術中、術後の専門家(獣医)による管理と施設使用を含め約50万円が算出されている。しかし医科大学でのこのような施設設置のメリットは、実際にこのような医療機器を使用したトレーニングを必要とする若い医師の存在(ニーズ)とそれを指導する者(ティーチングスタッフ)がいる所にある。さらに、単一の医科大学の動物実験施設ではなく、立地条件の良い所にトレーニングセンターを設けることも可能であろう(図9)3)。たとえば、医療技術トレーニングセンターを関東圏中心に設置した際の使用ブタ数は、仮に10の医科大学や研究所が使用したとして、年間数千頭の使用数となる。そこでの家畜豚の使用数は前述の1つの医科大学附属実験施設で使用されるそれよりはるかに多くなる。栃木県、茨城県、群馬県では、中または大規模の養豚業者が多くあり、それぞれ数万頭単位で飼育され、食肉として出荷されている。搬入経路を整えれば、共同でトレーニングセンター規模のブタの供給もできると考えられる。また、このようなトレーニングセンター基盤をもとに、医薬品や医療機器の開発センターが参入しやすくなる。したがって、食べる以外の豚の利用であるピッグプロジェクトは、農業分野への効果のみならず工業分野への付加価値が産出される可能性を持つ(図10)4)。
図10 学・学連携(案)(文献3より) |
ヒトへの移植用ドナーとしての治療用豚の開発
近年の臓器移植の進歩は目覚しく、末期臓器不全の唯一の根治療法として定着した。移植を受けた患者は確実に生存の可能性が高まった。その半面、移植を待つ患者にとってドナー不足が深刻な問題として圧し掛かっている。この10年来、移植治療の発展とともに豚はヒトの臓器移植治療のドナー不足の問題の切り札として考えられてきた。また最近は、21世紀の画期的治療として注目されている再生医療の組織、細胞のソースとしても注目されている。豚をヒトへの治療用に改良するストラテジーには2つの大きな柱があった。ひとつは豚を食肉用以上に「きれい」にしようとする試み。もうひとつはヒトに移植した際の「免疫の壁」を軽減させる試みである。
豚を「きれい」にする試みは、すでに他の多くの動物でなされてきたSPF化が実際的である。事実、治療用豚に限らずともすでにわが国でも食用のSPF豚が入手できる。しかし食用のSPF豚は、いわゆるSPF環境までにはこれまで以上に施設の充実を必要とする。またSPF手法で大概の感染症は排除されようが、ブタ内因性レトロウイルス(PERV)は排除が困難である。米国からは過去にすでに豚組織を移植した160名の患者の末梢血では全例ブタレトロウイルス血症がなかったと報告されているが、一方、SCIDマウスを用いた実験で、豚組織へin vivoでPERVが感染したとする実験的証明もある。いずれにせよ豚のさらなる改良が望まれ、ヒトへ安全に移植できる豚の開発が望まれている。我が国では、京都大学の井上らが、豚の膵内分泌細胞で作ったカプセル状の「人工膵臓」を皮下に埋め込むことで血糖値を正常に保つ実験に成功し、臨床試験の準備を整えている。このようなヒトへの移植が考えられるようになると今後はより「きれい」な豚の作成とその管理体制が必要である3)。
一方、豚からヒトへの移植における「免疫の壁」を乗り越える具体的手法はここ10年間で著しく進んだ。近年の移植に有利な免疫抑制剤の発展は、すでに異種移植の免疫の壁と類似していると考えられているABO血液型不適合移植も可能にしている。また欧米では十年以上前から豚におけるトランスジェニック技術を利用し、種々のヒト補体活性抑制遺伝子導入豚が誕生している。今後は豚における遺伝子ノックアウト技術やクローン技術の開発がその中心となっている。たとえばGalα1-3 Gal の糖鎖転換酵素(GalT)遺伝子を破壊した、いわゆるGalノックアウト豚の開発に熾烈な競争を行っている。我が国でも東北大学の佐藤らが、卵巣から採取した卵母細胞を体外熟成させ、除核未受精卵をつくるという細胞工学・発生工学的手法による戦略を立てている。そして、体外熟成卵を体外受精・体外発生させ、胚盤胞をつくり、そのような胚盤胞から胚性幹細胞(ES細胞)株を樹立することを試みている。
このようなヒト治療に用いる豚は前述した動物の分類で「家畜動物」の範疇から逸脱し、倫理上からもヒトへの移植ドナーとして「治療用動物」なる新しいクライテリアを必要とする時代が訪れようとしている。この倫理上の問題とともにこのような特殊な豚の維持、管理の問題も早急に整備する時代がおとずれている。
図11 ピッグプロジェクトの年次的段階的戦略
おわりに
豚を食用以外に使用し、「実験豚」として新たなる付加価値を加え、さらに「治療用豚」と発展させるには経済的基盤が必要である。これを実現させるためには、段階的にその計画を進める事が重要である(図11)。そこには学−学連携や産−学連携の基盤が必須であり、センター基盤においては国家的支援も必要であろう。医学領域では現行の医療技術を確実に教育するために家畜豚を用いて十分なトレーニングを行なう。そして一方で、豚を用いた実験を通じ新しい有効な治療技術や医薬品などを開発する経済的基盤を整える必要がある。臨床応用を目指した大動物実験を豚を用いて行ない、実際に薬品開発や新しい医療機器開発に結び付く研究を遂行する必要がある。またこれらは、農学部、薬学部や工学部と共同で行なう学・学の連携の場とすることができよう。これまで、欧米の先進諸国でも治療用ブタの開発を単発的で行なってきたが、開発を手がける研究者やベンチャー企業は極めて高額なランニングコストでそのような豚を維持することができなくなっている。我が国では、治療用ブタ開発をするためには、豚に対する使用基盤を整えた上で、治療用豚の経済的調査を十分検討する必要がある。
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