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ジャイアントパンダの自然史と保全生物学

 

 

Barbara Durrant (サンディエゴ動物園附属希少種繁殖センター)
  日本語訳  赤木智香子(ラプター・フォレスト)
     坪田敏男(岐阜大学応用生物科学部)


【JRD2005年2月号(vol.51, No.1)掲載】


 

ジャイアントパンダの自然交配

ジャイアントパンダ(以下、パンダと略)の生息調査が最後に行われたのは1988年のことである。調査当時、約1,000頭のパンダが、中国西部の隔離された6つの生息地に生息していたが、それ以降パンダの個体数が増加しているのか、減少しているのかはわからない状態で、現在、調査が進められている。パンダの野生個体群が直面している主な脅威は、森林伐採と残された個体群の孤立である。現時点で、およそ160頭のパンダが中国で飼育されており、20頭が中国以外の動物園で飼育されている。この飼育されているパンダは、政治上2つのグループに分けられる。1つは、中国に所有権がなく、その制限下にないパンダである。これらのパンダの殆どが、1970年代に中国から贈られたもので、当初からの10ペアとその子供のうち、残っているのは5頭のみである。それ以外のパンダは、すべて中国が所有している。

 パンダは、交尾期を除いて単独で生活し、4〜6歳で性成熟に達する。野生での寿命は20歳ほどであるが、飼育下では最高30歳程度まで生きる。春の交尾期には、雌は鳴き声と匂い付けで雄を惹き付ける。パンダは季節周期で発情し、自然排卵を伴った発情が1交尾期につき1回だけ見られる。発情は2〜4日続き、その間に複数の雄と交尾をすることがある。子育て中の雌では、発情周期が回帰しないため出産間隔は通常2年となる。

 飼育下で産まれるパンダの殆どが自然交配によるものである。しかし、飼育されている雄の殆どが上手く交配しないため、飼育個体群は遺伝的多様性に欠けている。何故、多くの雄が飼育下では繁殖を拒むのかについてはわかっていない。

 パンダの妊娠期間は平均135日で、着床遅延が起こるためにその期間には85日から185日のばらつきがある。このようにパンダには、着床遅延、つまり胚の休眠が起こる。受精は卵管内で起こり、胚は数回分裂した後に子宮に入る。そこで胚は休眠に入るが、胎盤は成長を続ける。しばらくの休眠の後、何かのシグナルによって胚は着床し、成長を始める。胚が成長をみせる期間は、出産前の35日間から50日間である。胚が存在しない場合、雌のパンダはしばしば偽妊娠となる。偽妊娠の状態にある雌は、妊娠している雌が示すのと同じ行動をとり、同じホルモンパターンを示すため、真の妊娠との区別が困難である。

 出産の50%で双子が生まれ、三つ子が生まれるのは1%にも過ぎない。人の手が入らなければ、母パンダは1頭の子しか育てないため、双子のどちらかは必ず死亡する。しかし、ツイン・スワッピングという新しい方法で、母親に2頭の子を育てさせることができる。その方法とは、飼育員が双子のうち1頭を母親から離して4時間から6時間世話をして母親に戻し、代わりに母親の元に残っていたもう1頭を親から離す、ということを繰り返す。この方法が使用される以前は、すべての双子が死亡していたが、現在では100%が生き残る。

 しかし、パンダの妊娠については、まだ未解明な部分がたくさんある。例えば、次のようなものである。「パンダの排卵はいつ起こるのか?」「偽妊娠の起こる割合はどのくらいか?」「着床のシグナルとなるものは何か?」「着床前、着床後の胎子の死亡率はそれぞれどのくらいか?」などである。このような疑問に答えるために、またより質の高い獣医学的ケアを施すために、我々はパンダを訓練して、ストレスの少ない検査などを麻酔なしで受けられるようにしている。その検査としては、1)血圧の測定、2)搾乳、3)綿棒による腟からの検査サンプル採取、4)超音波検査、5)人工授精、6)赤外線画像検査、7)爪のトリミング、8)綿棒によるにおい腺からの検査サンプル採取、9)眼および口の検査 などを行っている。

 実験動物のげっ歯類やイヌ・ネコでは、腟垢検査、つまり腟細胞の検査が発情周期のモニタリングに使用される。腟細胞の状態は、血中のエストロゲンレベルを反映している。綿棒を使って腟細胞を採取し、回すようにしてスライドグラスに擦り付けて、その後パパニコロー(PAP)染色を行う。パパニコロー染色では3つの染色液によって、好塩基性細胞はブルーに、好酸性細胞はピンクに、角化細胞は黄色に染まる。

 交尾期前ではエストロゲンレベルが低いのを反映して、パンダの腟細胞は好塩基性で大きな核が見られる。発情が近づくと、細胞は急に好酸性になるが、形態的変化は見られない。この染色性の変化が、第1次の染色性の移行で、排卵のおよそ9日前に見られる。さらにエストロゲンが増えると、好酸性の細胞の核が抜けてしまい、発情のピークでは、細胞は角化して黄色に染まる。この染色性の変化が、第2次の染色性の移行で、常に排卵の2日前に見られる。

 通常、排卵日はエストロゲンが下降する日とされているが、エストロゲンレベルのピークは、雌によって、あるいは同じ雌でも発情期によってばらつきがある。雌パンダのベイ・ユンのエストロゲンのピーク値は50 ng/mlから800 ng/mlの範囲にあり、これだけの幅があると、排卵と近接して起こるエストロゲンの下降を予測するのは困難である。現在では、腟垢検査のデータによって、第2次の染色性の移行を目安に、エストロゲンの下降を予測できるようになった。

 腟垢検査のデータとエストロゲンレベルは高い相関性を示し、排卵前後の有用な情報を得ることができる。しかし、実際にいつ排卵が起こっているかはつかめていない。これは、人工授精の成功率が25%に留まっていることからもわかる。黄体形成ホルモン(LH)の直接作用で排卵が起こるため、エストロゲンよりもLHの方が、正確な排卵時間を予測できる。ここで、人工授精成功率を上げるため、次の2つのことを知る必要がある。
・LHピークは、エストロゲンの下降とどのような時間的関係で起こるか?
・排卵は、LHピークからどのくらいの時間で起こるのか?

 パンダの尿中LH測定法の開発に際して、肉食獣として手頃なモデルとなるのがイヌである。イヌもパンダも10〜14日という長い発情前期を示し、その期間中にエストロゲンがゆっくりと上昇する。また、どちらも、エストロゲンが下降した後に交配する。さらに、パンダとイヌのLH抗体は十分な交差反応を示し、イヌ用にデザインされた血清LH測定法はパンダの血清でも上手く使用できる。

 イヌのLHについてはよく知られているが、パンダについては殆ど知られていない。イヌでは、排卵前に、いくつかの小さなLHスパイクが見られ、そして排卵を誘発するLHピークがエストロゲンピークの2日後に見られる。イヌでは、LHピークの3日後に排卵が起こる。

 パンダから頻繁に採血はできないため、尿中LHの測定法が必要となる。我々は、イヌ用のLHエライザ・キットがパンダの血清LHを検知できるのであれば、おそらく同じ測定法がパンダの尿中LHの測定に使用できるのではないかと考えた。

 市販のイヌLHエライザ・キットを、パンダの尿をサンプルとして使用したところ、LH上昇のタイミングが正確に検知された。ある雌では、朝の7時10分には見られなかったLHが、同日の午後1時30分には見られ、その尿を採取した1時30分に雄を受け入れる行動を示し始めた。このことは、LHが放出されてから尿中に現れるまでの時間が短いことを示している。LHピークはエストロゲン下降の36時間後に起こった。

ジャイアントパンダの人工授精
(著者が実施)

 ここで、サンディエゴ動物園のベイ・ユンで成功した人工授精の過程を紹介する。サンディエゴ動物園の雄は繁殖しようとしないため、電気刺激法によって精液を採取した。この雄の平均的な精液性状は極めて良く、精液量は5.81 ml、精子数は1 mlあたり10億、運動性は80%で前進運動は5段階評価中3、精子生存率は85%で、65%が形態学的に正常であった。

 ベイ・ユンには、3日連続で人工授精を実施した。人工授精は1999年に行われ、先に延べたLH測定法は開発されていなかった。エストロゲン下降が見られた日に、運動性のある新鮮な精子を8億注入した。1日目から4℃で保存していた精子を用いて、2日目および3日目も運動性のある精子8億を、それぞれ注入した。現在では、LHピークがいつ起こるかを特定できるため、3回以上の人工授精は行っていない。


 発情からおよそ30日後、ベイ・ユンの食欲は顕著に増し、体重も10 kg増加した。その後出産までの間、食欲はゆっくりと減退した。135日の妊娠期間のうち、最後の35日間は、食欲は通常の50%にまで落ちていた。

 ベイ・ユンが本当に妊娠しているのか、それとも偽妊娠なのかはわからなかった。べイ・ユンのホルモン変動は、中国ウーロンのリサーチセンターの妊娠または偽妊娠した雌のものと、全く同じであった。プロゲステロンの変化は、出産した雌、交尾したけれども出産にいたらなかった雌、交尾しなかった雌で、違いは見られなかった。

雌ジャイアントパンダ(ベイ・ユン)
の 腟垢検査(著者が実施)

 妊娠している雌と偽妊娠している雌では、その行動に明らかな違いはない。ロン・スワイスグッド博士は、サンディエゴ動物園で6年間にわたって20頭の雌パンダの行動を研究しているが、彼でも妊娠している雌と偽妊娠している雌との区別はつかない。

 生化学的な方法で、パンダの妊娠を検知することは、未だ可能ではない。超音波検査では、妊娠初期のパンダ胎子を検知するにはいたっていない。1999年には、超音波検査によって、出産の3日前にベイ・ユンの妊娠が明らかになっている。2003年には、出産の10日前に、同じく超音波検査によって双子の胎子が確認された。


 パンダ以外のクマ類では、着床遅延中に胎盤が成長することが知られており、パンダもおそらく同じ時期に胎盤が成長するものと考えられる。成長中の組織では血液供給が増えるため、赤外線映像ではその組織の温度が高く見える。2003年に、遠赤外線画像法により、成長中の胎盤の上部に当たる腹部の皮膚温度の上昇を検知した。交尾後69日目で、温度が高い部分が3つ見られ、ベイ・ユンは三つ子を妊娠していると考えられた。97日目までには温度の高い部分は2つとなり、132日目には、超音波診断によって心臓の拍動が見られたため、その温度の高い部分は胎子であると確認された。また、一方の胎子はもう一方よりも小さいこともわかった。


生後17日齢の母子ジャイアントパンダ
(母はベイ・ユン)

 ここで1999年8月21日に産まれた、ホア・メイの話に戻す。最初に検査したのは生後14日のときであった。そのときの体重から、出産時の体重は112gであったと推測した。1日の10%の時間を使って授乳を行い、90%は眠っていた。体は常に母親のベイ・ユンに触れており、3種類の異なる鳴き声を発していた。ベイ・ユンは出産後の疲労が激しく、1日の75%を眠って過ごしていた。出産後の9日間は、水を飲むための短時間でさえ、出産育子部屋を離れることがなかった。14日目に、餌を食べるために、再度育子部屋を離れたため、その間に手早く、子を外に出して検査した。ベイ・ユンは、子のどの泣き声にも反応して、なめたり、授乳したりしていた。

 生後28日までには、ホア・メイの皮膚は成獣と同じような配色になったが、毛の色はまだすべて白い状態であった。生後60日までには、毛の色も皮膚同様の配色となり、眼が開き始めた。

 生後150日目までには、ホア・メイは母親とともに展示されるようになった。木の上で殆どの時間を過ごし、乳を飲むために下におりてこようとはしなかったため、母親が授乳のために木に登っていた。生後18ヶ月で、親から離れる時間を徐々に増やしていくことで、2週間かけて離乳・親離れさせた。2週間の最終的な子離れ期間中には、別々のケージの中からお互いの姿が見えると、ベイ・ユンはホア・メイに対して攻撃性を示すようになった。ホア・メイは、2004年2月に4歳半でウーロンのリサーチセンターへ戻された。彼女は、野生捕獲個体のシー・シーの唯一の子供のため、遺伝的に重要な個体として繁殖プログラムに導入されている。


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