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生殖補助医療胚培養士(胚培養士、エンブリオロジスト)

遠藤 克
日本大学生物資源科学部


【JRD2004年4月号(vol.50, No.2)掲載】


 はじめに

 これまでに動物領域において確立された生殖補助技術は、動物の基礎生殖生理学や産業動物の改良増殖技術として、それぞれの分野において多大な貢献をもたらしたことは申すまでもないことである。これらの技術が開発・発展していく過程で、ヒトの生殖補助医療分野に応用されるようになってきた。そのなかでも社会的にも大きな衝撃をもたらしたのは、1978年にEdwardとStepoeによって報告された体外受精児の誕生である。これまで動物領域で用いられていた生殖補助技術が、医学領域において生殖補助医療技術(Assisted reproduction technology;ART)として不妊症の治療に大々的に導入されるようになると同時に、産婦人科医以外の技術者の役割が必要となったことである。

 このことは、これまでの臨床医学では考えられない画期的な治療プログラムを構築する結果となっている。とくにこれらの技術は、日進月歩で発展するARTに対応する技術者の知識ならびに技術によるところが大きく、不妊症の治療において必須条件となりつつある。ARTを駆使する技術者として生殖細胞や胚を取り扱うことのできる生殖補助医療胚培養士(胚培養士、エンブリオロジスト)と云う新しい職種が確立しつつある。

 わが国における生殖補助医療施設は、社団法人 日本産科婦人科学会によると、平成15年3月31日現在、体外受精、胚移植およびGIFTの臨床実施に関する登録施設が595カ所、ヒト胚および卵子の凍結保存と移植の臨床実施に関する登録施設が428カ所、顕微授精の臨床実施に関する登録施設が320カ所あり、平成13年3月末の段階に比較して10〜20%増加している。このような状況の中で、ARTに対応可能な胚培養士のニーズがさらに高まっているのが実情である1)。しかし、胚培養士を教育する機関の存在はなく、臨床検査技師の兼務もしくは動物関連学科で生殖細胞及び胚を用いて研究を行っていた者の採用等で急場をしのいでいるのが現状である。


1. 生殖補助医療の発展

 生殖補助医療に関する技術の多くは、動物生殖生理学の成果に基づいて開発された産業動物の増殖改良技術を、生殖医療分野において臨床応用するために改変された技術である。一方、発生生物学の研究手段として開発された顕微授精などの技術は、産業動物の生産にはほとんど応用されることがなく、むしろ生殖医療分野において広く応用されている。これまでに開発されたARTの一部を表1に示した。そのなかでも体外受精および胚移植による誕生例の報告からARTの急速な進展がみられた。また、表には示さなかったが、Pure FSH製剤の開発、GnRHaの臨床応用の開始、経腟超音波断層法の開発なども生殖補助医療の進展に大きな影響を及ぼした。このようなARTの急激な発展が、不妊治療の臨床面において産婦人科医以外の技術者である胚培養士の存在を不可欠な状況とした。また、胚培養士の養成機関が存在しないので、これまでの胚培養士は、多種多様な分野の人々が携わっており、胚培養士の知識ならびに技術が不妊症の治療成績に大きな影響を及ぼしていた実状がある。

 これらのことから、平成14年4月に日本哺乳動物卵子学会が生殖補助医療に携わる胚培養士の質的な向上をめざして、生殖補助医療胚培養士資格認定制度を発足させた経緯がある。それによると生殖医療の進歩に応じて必要かつ適切な知識、錬磨された技能、高い倫理性と品位を備えた生殖補助医療胚培養士の認定と、生殖補助医療の領域で胚培養士の技術の向上および発展を促すことを目的とする旨が示されている2)。


2.胚培養士の業務

 胚培養士の業務は多面的であり、単に培養室で胚の培養をすることのみに限定されるものではない。胚培養士の業務として、次のような項目がある。しかし、当然のことながら施設の規模、患者数および経験年数などによって業務内容に違いが生じる。

1) 生殖医学関連情報の収集
2) 培養室の設計・管理
3) 培養室勤務者の管理統率
4) 培養液の作製および培養環境の管理
5) 生殖細胞(卵子、精子および胚)の培養
6) 授精操作(媒精、顕微授精)
7) 受精卵子および胚の培養管理
8) 生殖細胞(卵子、精子および胚)の凍結保存
9) 生殖細胞の記帳管理

 胚培養士に求められる業務は多岐にわたることから、当然のことながら1人の胚培養士で遂行することは不可能であり、施設の規模、患者数等によって複数名が必要とされる。また、それらの業務に携わる胚培養士達の知識と経験に基づいた技術力の違いが不妊症の治療成績に大きく影響する。これらのことから、最近では上述の通常業務を管理・統率するだけではなく、学会あるいは研修会への参加および論文の検索によって得た最新の知見をもとに、当該施設における胚培養士の技術力の維持・向上を医師とともにコーディネートする管理胚培養士(師)の必要性が認識されつつある。


表1 生殖補助医療技術の開発
項目
年代
著者
対象
人工授精
(AI)
1780
1799
Spllanzani
Hunter
イヌ
ヒト
凍結精液による
人工授精(AID)
1952
1954
Ploge & Rowson
Shenman
ウシ
ヒト
体外受精・胚移植
(IVF・ET)
1954
1978
Thibault et al.
Edwads & Steptoe
ウサギ
ヒト
胚の凍結保存 1972
1983
Whittingham et al.
Trousome & Morr
マウス
ヒト
卵管内移植
(GIFT)
1984
1984
Kanayama & Endo
Asch et al.
ウサギ
ヒト
顕微授精
(ICSI)
1989
1992
Iritani et al.
Palermo et al.
ウサギ
ヒト
いずれも産子または胎児出産例


3.胚培養士の周辺業務

 医療施設によって異なるが、胚培養士としての本来の業務以外に次のようなことも要求されている現状がある。

1) コ・メディカル(看護師・事務員)との連携
2) 医師とのコミュニケーション(技術者としての提言が可能か?)
3) 倫理観の確立(会告、関連法規の習得を含む)
4) 患者とのコミュニケーション

 以上は、これまで胚培養士の業務が明確化されなかっただけではなく、わが国における生殖補助医療施設の組織が確立されてないことに起因すると考えられる。生殖補助医療を実施する際には、精神保健学、心理学、環境学および経済学などに関連する種々の事柄に対応する必要があるが、これらは生殖医療コ−ディネータ−、心理カウンセラー、生殖医療専門看護師などが担当すべきであり、胚培養士がこれらの業務をすべて担うことは不可能である。今後、ARTの進展によって生殖補助医療にかかわる業務はさらに複雑化されると考えられ、生殖補助医療施設における組織の確立に向けて早急に取り組む必要がある(図1)。

図1 胚培養士の業務


4.わが国における胚培養士の現状

 日本哺乳動物卵子学会がこれまでに実施した講習会・審査会(第1〜3回;合計334名)に申込みをした者の内訳は、農学部系(畜産学科、応用動物学科、動物資源学科、応用生物学科等)が最も多く全体の31.5%を占めており、次いで医療技術専門学校の26.5%、医療技術短大(臨床検査学科)の17.6%、医学部(医学科)4.8%、理学部(生物学科等)4.1%、保健学部(保健学科、生命科学科)3.8%、衛生学部(臨床検査学科)2.6%、薬学部(薬学科)2.3%、その他が6.8%となっている。なお、これら受講者のうち臨床検査技師の資格を有している者が、全体の46.7%を占めていることから、生殖医療現場では、現段階において臨床検査技術の兼務もしくは配置転換で対応しているものと思われる。また、受講・受験者の13.2%が大学院の博士前期課程・後期課程修了者であった。

 日本哺乳動物卵子学会で実施されている生殖補助医療胚培養士の受講・受験者334名の状況を分析すると、性別では、女性が3/4(75.7%)、男性が1/4(24.3%)であり女性が圧倒的に多くなっている。年齢階級別では、21〜25歳が28.7%、26〜30歳が38.9%、31〜35歳が11.7%、36〜40歳が9.0%、41〜45歳が6.6%、46〜50歳が2.4%、50歳以上が2.7%であり、26〜30歳が最も多くなっている。また、41歳以上の胚培養士が10%程度認められるが、これらの胚培養士は管理的な役割も担っているものと推察された(図2)。

 胚培養士の最終学歴では、4年生大学の卒業者が最も多く35.9%、ついで臨床検査関連の専門学校卒業が29.0%、臨床検査・衛生検査関連の短期大学卒業が17.1%、大学院の修士・博士課程修了者が13.2%、医学部卒業者が4.8%であり、大学院修了者が施設を統括しているものと思われる(図3)。

 
図2 受講・受験者の性別・年齢段階別分布
図3 受講・受験者の最終学歴

 最終学歴の専門性について比較すると、最も多いのが臨床検査学科および衛生技術関連学科を卒業した者が47.3%であり、施設内での配置転換で対応していることが推察される。動物学関連および生物学関連の学科を卒業した者が36.2%であり、この2つで全体の83.5%を占めている。なお、この他に応用化学科、薬学科、生命・保健学科、水産学科、看護学科、生活経営学科などが全体の10%程度存在した(図4)。

図4 受講・受験者の最終学歴の専門性

 経験年数(生殖補助医療における生殖細胞培養室従事期間)では、1〜2年が最も多く37.1%、3〜4年の経験者が29.9%であり、この二者で全体の65%近くを占めており、入れ代わりが活発であることがうかがえる。5〜6年の経験者が12.9%、7〜8年の経験者が10.2%、9〜10年の経験者が3.9%、11年以上の経験者が6.0%で、経験7年以上の者が全体の20%を占めており、これらの者が新しい胚培養士を教育・指導しているものと考えられる(図5)。

 胚培養士の医療施設での専門性では、胚培養士として勤務しているものが47.6%で最も多く、ついで臨床検査技師が46.1%であり、この2つの職種で全体の94%近くを占めており、その他医師4.8%、薬剤師2.1%、看護師0.9%であった(図6)。

 
図5 受講・受験者の経験年数の分布状況
(生殖細胞培養室従事期間)
図6 受講・受験者の医療施設内における専門性の分布

 胚培養士が勤務する医療施設を地域別に比較すると、最も多いのが関東地域の33.2%であり、ついで近畿地域の26.3%でありこの2つの地域で全体の60%近くを占めている。この他に九州地域の8.4%、東海地域の8.1%、中国地域の8.1%、東北地域の6.9%、四国地域の4.2%、北陸・甲信越地域の2.7%、北海道地域の1.5%沖縄地域の0.9%となっている。このことから、都市部において不妊症の治療が活発に行われていることを裏づける結果となっている(図7)。

図7 受講・受験者の勤務地域


5.生殖補助医療におけるわが国とアメリカ合衆国との比較

 生殖補助医療については、わが国では産婦人科医および泌尿器科医が担当しているが、アメリカでは学会で認定された不妊専門医となっている。最近、わが国においても生殖医療指導医制度(社団法人 日本不妊学会)が発足し、この制度が確立されればアメリカの制度に近づくこととなる。

 胚培養においては、アメリカでは培養室長が存在し、これにはPhD、HCLDがその役割を担っている。彼らのもとで胚培養士(修士、学士、検査技師)らが各役割を分担している。一方、わが国では、ほとんどの施設が培養室長を医師が兼務している。一部ではあるが、学位取得者が培養室長として活躍している施設もある。なお、胚培養士に関しては大きな違いは認められない。資格認定、公的有効性、胚培養士の権限、社会的地位と収入等については表2および表3に示したので参照されたい。


6.胚培養士の将来像

 生殖補助医療は、少子高齢化問題、医療保険問題、法制審議会生殖補助医療関連親子法制部会ならびに厚生科学審議会生殖補助医療部会の報告などを総合してみると、その守備範囲が広がり、今後さらに進展すると考えられる。その一方、個々の施設レベルにおいては、知識および技術的な差が増大し、治療成績に明らかな差異が生じると推察される。これらのことから、今後も急速に進展するであろうARTに対応可能な質の高い胚培養士の養成と、安全な医療サービスを保証するために胚培養士の公的資格制度化の必要性、さらには生殖補助医療施設側の体制の改善が強く望まれる。

 胚培養士の採用に関する生殖補助医療機関に対するアンケート調査の結果では3)、胚培養士は積極的に採用するが、心理カウンセラーについては消極的であるとの報告がなされている。胚培養士および生殖医療コ−ディネーターの資格に関する質問では、必要との回答がそれぞれ71%および51%であり、胚培養士資格の公的制度化への要望は高く、今後もさらに高まると推察される。この調査報告書においても、胚培養士に対する公的資格制度化および養成機関の設置等の早急な対応が必要であると結論されている4)。

 これらのことを総括すると、胚培養士の将来像が次のように推察される。ヒトの生殖細胞ならびに胚を直接的に取り扱う、すなわちヒトの誕生にかかわる胚培養士は、ARTに対応するための知識、錬磨された技能、高い倫理性と品位を兼ね備えていることを要求された公的認定制度に基づいた専門性の高い技術者である必要がある。また、これに伴って生殖医療施設における組織改革と胚培養士の職責の明確化がなされ、社会的地位の向上につながると考える。


文 献
1) 日本産科婦人科学会報告.日産婦誌55巻10号 1288-1306 2003
2) 日本哺乳動物学会お知らせ.日哺卵誌 18巻3号 S5-6 2001
3) 荒木康久 日不妊誌 46巻4号 292 2001
4) 野澤美江子・他 日不妊誌 48巻3・4号 116〜122 2003


表2 生殖医療に関する役割分担等の比較
  アメリカ合衆国 日 本
診  療 不妊専門医(USA生殖医学会認定) 産婦人科医、泌尿器科医
排卵誘発、採卵、
体外受精、胚移植
不妊専門医(USA生殖医学会認定)
(ASRM)
産婦人科医
培養液の作製、
精子、卵子、胚操作
PhD、HCLD
(主に生物学系博士か
USAバイオアナリスト協会)(ABB)、
認定ラボラトリ−ディレクタ−取得者
技術者(修士、学士、検査技師)
産婦人科医
胚培養士(主に農学系博士、修士、学士、
薬剤師、その他の学士、臨床検査技師)
研究成果の報告
(学会、論文)
PhD、HCLDが主で妊娠率の向上と
自身の地位、所得の為。
産婦人科医、胚培養士が基礎研究
ならびに臨床研究報告を行っている。

 

表3 胚培養士の役割等に関する比較
  アメリカ合衆国 日 本
資格認定 HCLD(ラボディレクタ−:培養室の管理職)

スーパーバイザ−:アメリカバイオアナリスト
協会(ABB)が筆記試験により認定
胚培養士(日本哺乳動物卵子学会)
講習会、筆記試験、面接試験の総合成績により認定
臨床エンブリオロジスト(臨床エンブリオロジスト研究会)
実施研修会の参加回数により認定
認定資格の
公的有効性
HCLDは各州の免許を取得
体外受精培養室の公的認可
現時点では無い。
胚培養士の
構成状況
培養室長(PhD、HCLD)
技術者(修士、学士、検査技師)
産婦人科医
技術者(農学系の博士、修士、学士、薬剤師、
 その他の学士、臨床検査技師)
胚培養士の権限 培養関係では不妊専門医より強い。
学術面での独立性が存在する。
全体的には弱い。
一部の施設では胚培養士の意見を尊重。
胚培養士の社会的地位と収入 PhDの多くが大学の教職を兼務している。
高収入であるがARTの成績によって
解雇がある。
公的な認定となっていない。
多くの培養士は臨床検査師と同じレベルである。
ARTの成績による解雇はない。

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