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ナメクジウオの生物学

窪川かおる(東京大学海洋研究所)

JRD2001年12月号(Vol. 47, No. 6)掲載



 日本繁殖生物学会誌を購読されている方々が実際に研究対象としている動物、あるいは興味を持たれている動物は、多くの場合、家畜、家禽、実験動物ではないでしょうか。その動物本体を扱って、その身体機能・形質を研究する場合もあれば、遺伝子ライブラリーや培養細胞を使って全くその動物の様子を知ることなく研究する場合もあるでしょう。たとえ後者であっても動物学を専攻している者としては、せめて由来した動物を見たい、知りたいと思って欲しいと思います。その点、私の研究対象であるナメクジウオは希少動物のために見ること自体難しいので仕方ないのですが、遺伝子ライブラリーを渡されて成果を出すだけの仕事をしている大学院生と話をしていると多少の寂しさを感じてしまいます。私がこの和文ページに何かを書けるとしたら、自分の研究対象であるこのナメクジウオしかありませんので、ここにご紹介したいと思います。

 ナメクジウオは脊椎動物の起源を調べるために進化上の重要な位置にある動物です。背骨がない無脊椎動物ですが、脊椎動物の個体発生の初期にだけ出てくる脊索を終生もち、脊索が脊椎に置き換わることはありません。神経組織も脊椎動物を簡単にしたような構造をとり、脊椎動物の祖先に似ていると考えられてきています。現在急速に発展している発生学的研究は、転写調節遺伝子の発現を脊椎動物と比較して形態形成について有益な成果をあげています。一方、日本では脊索動物尾索動物亜門であるホヤの研究が日本主導で急ピッチに進んでいます。rDNAの解析からホヤよりもナメクジウオの方が脊椎動物に近いとされています(Wada & Satoh, 1994)。ホヤが脊索をもつのは幼生時までですが、一番のメリットは入手が容易なことです。横浜の山下公園の岸壁近くでもユウレイボヤが採集できるくらいです。日本でおこなわれているホヤのゲノム解析は翌夏に終ると予定されています。ESTはすでにWebで公開されています。一時ゼブラフィッシュに押されてどうなったかと心配したメダカも、今は挽回しています。生態や系統維持という地道な研究から始まって長い年月かかって生物学に貢献しているメダカもホヤも日本発信であることは嬉しいことです。今のところ地道な研究のその基礎研究中ですが、ナメクジウオもそうなって欲しいと願っています。

写真1


分 類

 ナメクジウオは5億数千万年前のカンブリア紀の化石、有名なバージェス頁岩の生物群の脊索と筋節を持つピカイアに良く似ています。最近は中国のHaikouでもMyllokumngiaという学名の脊索をもつ動物化石がさらに古い先カンブリア紀の地層から発見されています(Shu et al., 1999a)。また中国では驚くべきことにホヤに似た生物の化石まで発見されています(Shu et al., 1999b)。カナダのバージェス頁岩も中国のHaikouもまだまだ新発見がありそうで、進化の研究も拍車がかかっています。ナメクジウオを軟体動物のナメクジと同名に略称されたり、魚と言われて苦笑する場合が多々あります。実体に合った和名が欲しいところです。1778年にドイツの研究者が軟体動物の新種に分類し、Linax lanceolatus、やり状のナメクジという意味の学名を付けています。しかし、脊椎動物の発生初期に出現する脊索を持っていることがわかり、その後1830年代にイタリアで脊椎動物の中で最も下等な動物である円口類に、同じ頃イギリスで魚類に分類されました。そこで、ナメクジウオの和名は間違いの歴史を含むようで若干の抵抗を感じています。現在は脊索動物門頭索動物亜門に分類されており、これとホヤ類の尾索動物亜門と脊椎動物亜門により脊索動物門が構成されます。BranchiostomaEpigonichthysの2属で、種は両方あわせて50種くらいであり、分類の見直しも形態とミトコンドリアDNA解析によって現在進行中です。 Branchiostomaは鰓と口という意味ですが、最初の属名をAmphioxusといい、両端が尖ったという意味でした。研究のほとんどがBranchiostoma属を用いていることと、正にその姿を言い表しているので、属名が変わってもAmphioxusがそのままナメクジウオの総称として使われ続けました。しかし、約10年前からアメリカが最初の学名から由来するLanceletなる正式な総称を使うべきだと主張してきました。確かに正論であり、複数形がAmphioxiとなって使い難くはありますし、アメリカ勢力は強力ですから、Lanceletsを使う方が良さそうだと一時はなりました。しかし、論文からAmphioxusが消えることも無く、Lancelet(=Amphioxus)と書く論文も表われ、煩わしくなったのか、今は大勢がAmphioxusに戻りました。


生息地

 広島県の有竜島と愛知県三河湾の大島で場所指定の天然記念物に指定されています。日本産ナメクジウオの初記録は1895年でした。近年は個体数と生息地が激減していて、レッドデータブックには掲載されていませんが、絶滅の恐れがある希少種と考えられています。日本は3種類確認されており、Branchiostoma belcheri ナメクジウオ(写真1)、Epigonichthys maldivense カタナメクジウオ、Epigonichthys lucayanum オナガナメクジウオといいます。Branchiostoma属は体長約4〜5cmで、最大7 cmに達します。私たちは渥美半島沖に生息地を発見して調査をしていますが(Kubokawa, et al., 1998)、環境条件が良いらしく、大型の個体が多数採集できます。寿命は3年とも6年とも言われています。産卵期は夏で、雌の卵巣は黄色、雄の精巣は白色で容易に雌雄が区別できます。非繁殖期あるいは未成熟な個体の雌雄は肉眼では判別できません。分布はインド洋、大西洋、西太平洋の暖水域浅海と広く、日本では房総半島以南の太平洋岸の潮間帯や瀬戸内海、日向灘、天草などに生息が確認されています(Nishikawa, 1981)。最近は天草で新しい大個体群が発見されるなど、かつて報告された地域付近での再発見が相次ぎ、絶滅の心配はなさそうです。また、中津干潟でも生息が確認され、乾上った砂地からポンポン飛び出してくるという姿を来年は見学に行こうと思っています。かつては天然記念物指定地でも同様な光景が見られたようです。しかし、生息地数が増えているとはいえ、汚染、工事、採砂などの人為的環境変化が進む以上、油断はできません。ナメクジウオの生息は粒径が約0.4〜0.8 mmで泥成分が少ない砂質と限られています。無数の鰓の繊毛で起こした水流で水と共に植物プランクトンを摂取するので、泥の多い場所では窒息し、細礫の多い場所では潜ることができず、生息できません。かつてはナメクジウオ砂と呼ばれたほど最適な砂地が減少しないよう、環境を保護していく必要があります。一方、Epigonichthysは紀伊半島潮岬沖を北端として沖縄県のサンゴ砂の海岸に多く生息しています。体長は約3 cmと小さく、Epigonichthys属の最大の特徴は生殖腺が右側にしかないことです。生殖腺がなぜ片側だけ発達するのかについて研究したいと考えていますが、文献上のEpigonichthys属の生物学はほとんどなく、採集も難点です。念願かなって種子島で12月に採集したカタナメクジウオは生殖腺が発達しており、水温が高ければ冬にも繁殖する可能性を知り、生殖機構への興味はますます大きくなりました。最近、ナメクジウオの生殖内分泌機構の研究を開始しましたが、Epigonichthys属も是非扱いたいと考えています。


生態調査

 私たちは6年前から渥美半島沖に発見した生息地で生態調査をおこなっています(Kubokawa, et al., 1998)。筆者が所属する海洋研究所の共同利用研究船の淡青丸(480トン)に申込み、毎年1回約1週間の研究航海をオーガナイズしています。乗船研究者は11名で、船員が25名です。研究者構成はナメクジウオチームだけの場合はラッキーで,他のテーマで申し込んだ研究者と同乗することが普通です。天候次第では限られた時間内で予定した仕事を完成できないことが多々あります。4時間交代の3ワッチが2回あって、食事以外は24時間仕事があります。航走時間はサンプルやデータの整理があり休む暇もありません。研究者内および研究者と船員間のチームワークは素晴らしく、これも航海の醍醐味です。狭い船内ですが、職住距離が約5 mで3食つきに持参したお菓子食べ放題と、船酔いに無縁の筆者には快適で肥満が気になる日々です。ブリッジ、甲板、機関室そして厨房と船員の皆さんの温かい気配りで、最初は船酔いでダウンの大学院生も揺れる船上で足を踏ん張れるよう慣れていきます。

写真2 ナメクジウオの放精行動
(中島道雄撮影)


産 卵

 産卵は7月〜8月にかけてみられ、産卵行動の詳細な観察を我々は6年前からおこなっており、去年からは水槽内での自然産卵に始めて成功しました。進化や比較発生学と取り組む上でナメクジウオを材料とする必要性は大で、日本を含めて世界中のナメクジウオの発生学者はフロリダのB. Floridaeを研究しているHolland夫妻やチンタオのB. belcheriを研究している海洋研究所のZhang先生や海洋大学のZhang先生との共同研究をしたり、材料の供与を受けています。両者はナメクジウオの受精卵が入手できる貴重な場所です。個体群も大きく、特にB. Floridaeを使った形態形成転写調節遺伝子の発現研究の論文がそれら遺伝子の数だけ発表されており、大量生産の猛スピードで発表されています。現在の私たちの研究は、そのスピードを文献検索画面で見ながら徐行運転で日本の悪路を走っているようなものですが、日本の技術と設備を十二分に使えるよう日本での産卵・飼育を可能とし、実験動物として利用できるようにしたいと考えています。産卵の成功はそういう意味で研究現場において自由に研究できる土台を築くことができ、まずは出発点に立ったといえます。産卵は7月〜8月の約2ヶ月で、日没後数時間以内におこなわれ、気象条件との関連は調べた限りまだトリガーがわかりません。一度始まると数日間続き、休止期を経て次の産卵時期が来ます。1週間から10日周期であり、小潮の日は産卵が無いだけで、いつ産卵開始になるのかが未だにわかりません。水槽内での産卵行動は、砂中から1 m 20 cmの水槽の水面に向かって速く泳ぎ、放卵・放精をします(写真2)。一日の産卵の最初は雄が行動しますが、その後は雄雌で同期せずに、卵と精子が水中に放出されます。水槽内ですから受精しますが、野外の潮流が速い水深20 m付近の海底から目標もない水中を数m上昇して産卵するには、同期する必要があるはずです。私たちは実際に野外での本来の産卵行動を観察するために水中ビデオロボット、水族館の巨大水槽、海底にアクリル円筒を立てるなどの努力をしていますが、成功していません。


形 態

 ナメクジウオの形態の特徴をいくつかあげます。目・耳・鼻の感覚器はありません。光には敏感で体中に光受容器の構造が観察されます。神経管の先端には眼点と呼ばれる色素を持った構造があり、体に平行して走る神経管の中にも色素細胞が点々とあります。神経管の前端部は少し膨れている脳部分です。光受容器構造をもつ神経細胞も観察されています。光受容体遺伝子が7種類クローニングされており、その系統関係が独自の位置にあるそうです。

 神経管の腹側には脊索があり、神経管より先に伸びています。脊索は横紋構造の筋肉細胞で、パラミオシンとアクチンなどの筋肉タンパク質があります。円盤状の筋肉細胞が並んでおり、その筋肉細胞は裂けるように分裂してきて数が増えて脊索が伸長していきます。筋肉と言ってもグリセリン筋を作って収縮実験をしても収縮せず、その理由はアクチン繊維が長くてランダムな方向に配列しているためと考えています。脊索は一本の支柱であり、神経管から神経突起が脊索に延びた部分でシナプス構造が電顕で確認されます。そこで、普段は砂の中を泳ぎ、産卵期には水中を泳ぐ能力をもたせていると考えています。泳ぐときは脊索中の液胞が圧縮されて体が曲がり、発達した筋節が遊泳行動を可能にしていると考えられます。

 私の専門である内分泌系では、下垂体原基と考えられているHatschek's pitと呼ばれる内分泌器官があります。ラトケ嚢の発生と良く似た発生をし、5種以上のペプチド性分泌顆粒の存在が確認でき、ヒトの黄体形成ホルモンβサブユニットに対する抗体のみに陽性反応を示します。他の入手できうる限りのさまざまな脊椎動物の視床下部・下垂体のホルモン抗体には反応しませんでした。近年、私たちはHatschek's pitに向かって神経管が伸長し、約20 μmの間隙でpitに接近していることを発見しました(Nozaki et al., 1998)。伸びた部分は同じくヒトLH抗体と反応し、ペプチド性分泌顆粒が2種類存在することから、神経下垂体相同器官と推測しています。これが神経下垂体あるいは正中隆起であるならば、脊椎動物でもっとも下等なヤツメウナギがやはり血管系がなく、視床下部からの液性情報を拡散によって下垂体に運ぶとのGorbman先生の意見を支持する証拠かもしれません(Gorbman, 1995)。相変わらず状況証拠だけであり、下垂体の直接証拠となるホルモン遺伝子を手に入れようと苦心しています(Kubokawa, 2001)。他にもたくさんの不思議な構造、機構があり、ナメクジウオの研究だけでも好奇心を十分に満足させますが、他の動物と比較して進化を考えるときが一番の醍醐味です。


遺伝子

 1990年代にナメクジウオが脚光を浴びたのは、Peter W. H. Hollandという若きイギリスの研究者がホメオボックス遺伝子の重複について、すでに報告されていた無脊椎動物の代表ショウジョウバエと脊椎動物の代表マウスの間を埋める研究をナメクジウオでおこない、遺伝子重複の謎を解いたことによります。ホメオボックス遺伝子のクラスターはショウジョウバエが1つなのに対して、マウスは4つあり、遺伝子重複がどこで起きたかが問題になっていました。ナメクジウオは1つであると判明し、脊椎動物以降に4倍になり、クラスター内のホメオボックス遺伝子のうちで余分になった遺伝子が変化して新しい構造を作っていったと考えられました。その後は形態形成の延長として脳の進化が研究されるようになり、脊椎動物の脳がナメクジウオの神経管の脳部分に由来するのか、ナメクジウオの脳と別に出来たものかが議論されています。これは、Hox遺伝子の発現がナメクジウオは脊椎動物よりも後方で発現しており、脊椎動物の脳はナメクジウオの脳部分とその後ろの神経管の一部に由来することがわかり,上記の仮説の両方であると考えられています。現在は転写調節遺伝子の発現を脊椎動物の胚の発生と比較することにより詳細な脳の部位との関連が議論されているところです。私たちも神経管の遺伝子マーカーからこの問題に参加し、来年には新たな仮説までいきたいと考えています。また、私のテーマの一つである下垂体の進化についても同様に、転写調節因子を使ってラットで解明されている下垂体細胞の分化と比較する計画をもっています。さらに、性染色体のないナメクジウオの性決定や性転換など面白い問題がたくさん残っています。今日本でナメクジウオだけを材料としている研究者は私ともう1名と絶滅寸前ですが、手弁当のセミナーの甲斐があってか、ナメクジウオの面白さを利用しようとする研究者が増えており、爆発的に発展する期待で一杯です。しかしながら、良いことばかりではなく、受精卵への遺伝子導入が出来ない、生理学的実験などの飼育ができない、変態まで飼育できないなど、基本的なところの問題が実は山積みであり、一つ一つの解決にはまだ長い道のりが必要です。


謝 辞

 ナメクジウオの研究を応援していただいている西田睦教授に心から感謝しています。そして、弘前大学の東信行先生、新潟大学の野崎真澄先生、埼玉大学の寺門潔先生、千葉大学の木村澄子先生、神戸大学の村上明男先生、東京大学臨海実験所の森澤正昭先生には多くのご指導をいただき心からお礼申し上げます。また、短期間でも一緒にナメクジウオの研究を楽しくやってきた梅田玉紀さん、鈴木剛さんの奮闘に感謝しています。最後にナメクジウオの研究航海を応援してくださっている淡青丸の船員の皆様にお礼申し上げます。


文 献



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