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なぜ、ここまで落ちた乳牛の受胎率 小野 斉 |
【JRD2001年8月号(Vol. 47, No. 4)掲載】
はじめに
過日、家畜繁殖学を専攻してきた一OBとして、課題自由の投稿の依頼を受けた。
私は、新制大学発足初期に獣医学科で学び、大学院修士課程を修了した者である。学生時代は家畜病理学研究室に所属し、卒業後は農業共済組合連合会の講習所に勤務し、臨床獣医師志望の新卒者と共に、7年間、主に乳牛の一般診療に従事した。その後、出身校に戻り、獣医学科家畜臨床繁殖学講座に17年間、同大学の家畜生産学科肉畜増殖学講座に12年、獣医学科と畜産学科の家畜繁殖学の教育、研究に携わった。定年退職後、北海道家畜改良事業団(現、ジェネティクス北海道)技術顧問として現在に至っている。
私は過去を振り返ってみると、乳牛の繁殖と栄養に関する問題に興味を持ち、これにこだわり続けてきたことになる。ことの発端は大学への転職の際、当時、ほぼ同年齢の親しかった著名な乳牛ブリーダーの後継者の数人から、“大学では何をさておいても、是非、繁殖と栄養の問題をやれ”という強い要望があり、これをかたくなに守り通してきたことになる。
また、場所が主要な酪農地帯で、活発に活動している農業団体の指導機関があり、臨床獣医師、人工授精師、酪農家とも接する機会が多いという恵まれた環境にあったこともあげなければならない。
本誌掲載の研究論文の多くは、獣医学、畜産学をはじめ、基礎分野の研究者が主体を占めている。産業動物、特に乳牛の臨床繁殖に携わってきた者の意見として、乳牛飼養現場の現状を紹介し、2、3の問題点を指摘してみたい。
現状に注目しよう
私は数年前、家畜人工授精師全国大会の特別講演で、“こんな牛の飼い方でいいのか”と題し、大見栄をきったことがある[1]。乳牛の繁殖成績の低下を取り上げ、その原因と対策について注意を喚起したつもりである。しかし、事態は一向に好転せず、むしろ悪化の一途を辿っている。
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わが国の主要酪農地帯である北海道の乳牛の初回受胎率を昭和45年から平成11年まで年次推移で示したものが図1である。これは北海道家畜人工授精師協会が90日NRで全道の初回授精頭数(平成11年度は52万2,373頭)を対象にまとめたものである。
昭和63年頃から低下の傾向がみられ、平成11年には凍結精液が一般的に使用されて以来最低となり、49.2%となっている。昭和47年の低値は、その前年が、冷湿害による異常気象で、極端な粗飼料不足の影響と考えられている。
図2は乳牛の初回授精受胎率を未経産牛と経産牛に分けてみたものである。未経産牛は60%台で推移しているが、経産牛は平成11年は43.0%となり、経産牛に問題があることに注目しなければならない。この未経産牛、経産牛の差は地域あるいは市町村で大きな差が見られる。
初回授精受胎率のこの傾向は都府県においても同じで、牛群検定のまとめによる分娩間隔の年次推移をみても、年々延長し、平成10年、北海道は416日、都府県は429日となっている。しかし、北海道は2年続きの猛暑の影響で、間隔がさらに伸び、平成13年は426日となることが予測されている。
受胎成績は発情発見率をはじめ、種雄牛と雌牛の受胎能力、精液の融解と取り扱い、人工授精技術、授精の時期など数多くの要因によって左右される。上述の初回授精受胎率を見る限り、未経産牛は一応目標値に近く、いくつかの要因は除かれ、問題は経産牛にあるとみなければならない。
乳量と繁殖
わが国の乳牛の乳量は着実に増加を示している。牛群検定成績によると、北海道、都府県の過去8年間(平成4年〜平成11年)の1頭当たりの平均乳量は、検定事業が開始された昭和50年を100とした場合、四半世紀後の平成11年には148と約1.5倍に大きく増加している。一方、この間に、濃厚飼料の乳牛1頭当たりの給与量が増加し、特に北海道では2倍を超す給与量になっていることを見逃してはならない。
乳量の増加は昭和63年頃までは遺伝的改良効果より飼養管理の改善(特に濃厚飼料給与量の増加)の影響が大きいとされてきた。しかし、平成4年頃から種雄牛の後代検定が遺伝的能力の向上に大きく寄与し、一方、飼養環境の効果は平成4年以降逆転し、最近はその改善効果が伸び悩み、低下の傾向さえみられる(図3)[2]。
1) 「家畜改良センター乳用牛評価報告」及び「乳用牛群能力検定成績のまとめ」より.
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繁殖成績に対する乳量の影響については数多くの報告があり、一般には乳量が高まるにつれ、受胎率は低下するとみられている。しかし、結果はさまざまで一貫性がない。
Samuels[3]のアメリカでの約2万頭の資料を用いての報告によると、過去30年にわたる遺伝的改良は個体の乳量を33%増加させたが、これに伴い受胎率は66%が40〜50%と低下したと述べている。そして、この結果は、遺伝的選択の結果よりも、環境(表現型)が大きく関係しているとしている。
この問題に関して、共同研究者の寺脇ら[4]は1985年に北海道十勝管内の初回授精を行った検定牛、465頭の記録を用いて検討を行った。繁殖成績として、受胎までの授精回数、分娩後日数、初回授精から受胎までの日数、空胎日数および分娩間隔を用いた。乳量は分娩後6ヶ月までのFCMを用いた。乳牛群は年平均1頭当たり乳量に基づいて、8,000 kg以上、7,000 kg台、7,000 kg未満の3群に分類した。
その結果は、FCMの平均値は3群間に有意差を示したが、繁殖成績に関しては統計的有意差は認められなかった。全記録を用いた場合、分娩後日数、空胎日数および分娩間隔とFCMとの間に小さいが正の相関係数(P<0.01)が認められた。群内の分析では7,000 kg台においてのみ、すべての繁殖成績とFCMとの間に有意な正の相関関係(P<0.01、0.05)が認められた。これらの結果から、適切な飼養管理が繁殖成績と乳量との拮抗関係を克服できる可能性を示唆しており、飼養管理条件により大きく影響されることを認めている。
わが国の改良目標は乳量に関して、平成9年7,300 kgを平成22年には8,800 kgと高く掲げている。現在、4産連続2万kgを達成あるいは14年間連産で9,000 kg以上の成績をあげている農家が実在する。このことは、同じ地域、気象条件のもとで、他の農家もまだ高泌乳、高繁殖性の両立の可能性を示すものと考えなければならない。
栄養と繁殖
飼料給与状態と繁殖成績は密接な関係があることは古くから知られており、数多くの報告がある。なかでも有名なのはWiltbankら[5]の報告である。肉牛を用い、長期にわたり試験を行い、結果は低熱量あるいは低蛋白質のかたよった給与に繁殖障害が多く発生し、特に低熱量の影響が大きいことが指摘されている。
わが国でも、昭和32年から6ヵ年計画で乳牛の飼養標準設定に関する研究が取り上げられ、乳牛の栄養障害発生に関する試験の中で、卵胞嚢腫の発生が、前述のWiltbankらの試験と同様に、高蛋白質・低熱量および低蛋白質・低熱量のように、蛋白質の高低に関係なく、低熱量群に発生が多い事を認めている[6]。そして、低熱量群では副腎の肥大、重量の増加を認め、低熱量飼養によるストレスは高蛋白質飼養によるストレスより副腎に対して影響が大きいことが指摘されている[7]。
その後、卵巣と副腎皮質機能の関連については、臨床および内分泌学的な研究がいくつかみられる[8-13]。
ルミノロジーの大御所、梅津[14]は前述のWiltbankらの試験結果に対し、なぜこの様な結果が起るのか、その理由の追求が必要であるとし、次の研究テーマを与えるための貴重な調査であると述べている。そして、例えば高蛋白質、低熱量の場合、蛋白が熱源として用いられ、N化合物の不燃部がなんらかの形で毒性を現わし、下垂体、性腺などを犯すという仮説を設定し、実証する必要があると述べ、すでに第一胃機能と繁殖との関係に注目している。
1980年代以降、乳牛における蛋白質摂取の問題が卵巣および子宮の生理機能に与える影響に関して数多くの報告が見られる。チャルパ[15]は繁殖に対する蛋白質の負の影響は受精卵や初期胚の代謝に対するアンモニアの影響によるとする新たな概念を述べている。
繁殖障害は生産病
繁殖成績の低下だけでなく、他の疾病発生状況にも注目しなければならない。
疾病は年々増加の傾向を示している。北海道の平成10年の家畜共済事業での病傷事故病類別割合をみてみると、乳牛では生殖器病が32.6%、泌乳器疾患が30.5%で、この2病類で6割を越し、次いで妊娠分娩および産後の疾病が12.6%となっている。これらの疾病には、それぞれ直接的な原因もあるが、軌を一にしての増加状況から、これらには共通する原因があり、飼料給与面からの栄養との関係が大きく関係していると考えなければならない。繁殖障害も生産病の一つであるということを念頭におく必要がある。
現在の疾病発生状態は“1産目のトラブル、2産目のスランプ”の状態にあるといえる。1産目の分娩前後に事故が多発し、2産目の受胎が遅れ、その後、他の疾病も多発するという状態である。そして、この問題は、すでに育成期からはじまっていると考えなければならない。育成牛の発育状態がその後の繁殖成績のみならず、生産病発生と大きくかかわりを持つことが指摘されている。
育成初期に与える乾草の品質は最高のものが必要とされている[16]。近年、わが国ではラップサイレージの給与が急速に普及し、主要酪農地帯である北海道では農家の3割以上が生産牧草の70%をラップサイレージとし、通年使用が3割を越えている。この現象は全国に広がりをみせている。
ラップサイレージは大容積の固定サイロと異なり、原料草の種類別の保管ができるなど多くの利点があるが、品質や飼料価値がそれぞれ大きく異なることも特長の一つである。現在、多くの農家では遅刈の材料や不良醗酵のサイレージは育成牛と乾乳牛に給与し、適期収穫の嗜好性のよいものは搾乳牛に給与する例が多くみられる。育成牛の給与飼料面を再考する必要があると考える。
現在、わが国でも生産病予防対策として牛群の代謝プロファイルテストが広く行われてきている。この項目の中に蛋白代謝に関して血中尿素窒素(BUN)が加えられており、繁殖成績との関係が注目され、数年来、乳中尿素窒素(MUN)の測定も普及してきている。
また、乳牛の体組織貯蔵成分の消失と回復を監視するための指標として開発されたボディコンディションスコア(BCS)が、特に分娩前後の栄養管理、繁殖成績との関係から、実用的な方法として、現在広く用いられてきている。
変わらざるをえない臨床繁殖学
繁殖成績向上、生産病防止には多くの対策があげられるが、要は栄養管理を最重視しなければならない。
現在、農家への栄養管理支援は地元の農業関係の指導機関をはじめ、飼料、薬品関係の商社まで多くの人達が係わっている。臨床獣医師も大きくその一役を担っている。
臨床獣医師は診療は大前提として、この栄養管理支援ができなければやっていけない時代となってきている。しかし、この分野は最も苦手とし、知識を得るために多くの時間と努力をかけているのが実情である。
平成4年、改正された獣医師法には“飼育動物の健康管理を指導する”という一文が加えられている。
健康な牛づくりは、実際には難しい多くの項目があげられる。飼料生産、調達、給与法、子牛生産から哺育、育成そして受胎、分娩、泌乳、乾乳期などの管理、また、飼養施設、糞尿の処理、さらに乳牛改良の分野に至るまで、極めて多岐にわたっており、すべてを統合したサイクルの循環があって実現できるものである。また、畜産そのものが急激に様変わりしてきており、問題はさらに難しさを増してきている。
従来、大学、試験研究機関そして現場・行政のあるべき姿として、大学は基礎研究を主体に、創造的、純粋的に長期的性格を持ち、国公立をはじめとする試験研究機関は技術的応用研究を行い、現場・行政は調和的、現実的、実践的性格を持ち、それぞれに使命と特長があるといわれてきた。この三者がともすると、縦に並び、上から下への一方的な流れとなり、現場においてはいろいろと問題と弊害が生じてるのも事実である。
三者は横一線に並ぶなり、農家を中心に、それぞれ三角形の頂点に位置し、互に密に連携を取り合う必要がある。
大学および試験研究機関はもう少し、現場に目を向ける必要がある。現場からの声を聞く耳を持ち、実態を知る必要がある。
現在、獣医師の養成のあり方を見直す動きが、大学再編の動きに連動して起きている。特に産業動物臨床獣医師教育のあり方に関心が寄せられている。
わが国の獣医師教育は欧米の獣医先進諸国に比べ、スタッフ的にも施設的にもあまりにも貧弱過ぎると指摘されている。
欧米諸国では獣医学の産業動物の教育の中に畜産学という分野があり、栄養学、動物行動学などが教えられている。わが国では獣医学科と畜産学科が分かれて存在する。獣医学科は畜産学科にある栄養学、動物行動学、経営学などには力を入れず、これに依存し、また、畜産学科も治療面はともかくとして、疾病の予防、衛生に関しては獣医学科に依存し、力を入れない傾向がある。そして、互いにテリトリーを気にする傾向さえみられる。実はこの境界領域こそ最も重視しなければならない問題を含んでいるといえる。
わが国の場合、臨床カリキュラムで内科、外科、臨床繁殖という分け方が今だに存在している。これは誠におかしな話といわざるをえない。現在、現場ではこのような分け方は通用しない。少なくとも大動物、小動物ぐらいには分けなければならず、また、臨床も基礎臨床、応用臨床に分ける必要があると考える。
畜産学においても農学再編、教育に関して検討がなされてきている。今後、獣医学、畜産学の相方からの論議が大いになされなければならない。その重要な時期にあるといえる。
受胎率低下の問題を取り上げてみても、この改善には極めて難しい問題が山積している。家畜繁殖学分野に係わる者として、受胎率低下という状態を牛からの反省を促す発信と受けとり、もう少し危機意識をもつ必要があると考える。
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