施設紹介 Advanced Cell Technology, Inc. 若山照彦 |
【JRD2001年6月号(Vol. 47, No. 3)掲載】
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ウースター(Worcester)はボストンから車で約1時間西に走ったところにある、マサチューセッツ州で二番目に大きな町である。しかし二番目とは言っても、一番大きな都市のボストンとはあまりにも差があり、かつては紡績で世界有数の町だったが、いまではマサチューセッツ州立大学の医学研究機関及び、数多くのベンチャー企業によって支えられている、小さくて静かな町である。特に目立った観光地があるわけでもなく、普通の日本人でウースターを知っている者はほとんどいないのではないだろうか。そんな小さな町ではあるが、私たち繁殖学を学ぶ者たちにとっては、ウースターの名前はあまりにも有名であろう。なぜならほ乳類の受精の研究は、ウースター研究所のMC Chang及び私の恩師、柳町隆造博士らによって始まったようなものだからである。その後も多くの日本人研究者たちがこのウースター研究所のDr.Changのもとで修行をし、彼らによって今の日本の繁殖学が発展していったといっても過言ではない。残念ながらウースター研究所はマサチューセッツ大学に吸収され、建物はもう研究には使われていないが、私がウースターへ移ったとき、真っ先にその建物を見学に行った。チャン先生と柳町先生がここで受精に研究をし、世界に先駆けて、精子のhyperactivationやハムスター卵子の異種間受精など数多くの業績を上げていったところだと思うと、感慨深いものがあった。
今、そのウースターで、小さな企業が繁殖の分野で大きく名乗りを上げ始めた。Advanced Cell Technology(ACT)という会社である。ここは世界で2番目に体細胞クローンに成功したことや、絶滅危惧種であるガウルというウシ属gaurus種をウシ(taurus種)の卵に核移植して生きたガウルを生ませたことで知られている。現在クローン動物関係の研究でトップを走っているグループは、クローンヒツジ“ドリー”を作出したロスリン-PPL(現在は分裂している)かもしれないが、NatureやScienceなどの超一流雑誌への発表数で見ると、ACTもほぼ対等であり、三位以下を大きく引き離している。
ACTが産声を上げたのは1998年のことであり、企業としての歴史は浅い。しかしマサチューセッツ大学のJ. Roblの研究室が土台になっておりSL. Stice、J. Cibelliら、一流の研究者たちによるクローン研究の知識と、彼らの取得した特許を受け継いでいる。企業の柱となったその特許は、1998年に「Cloned transgenic calves produced from nonquiescent fetal fibroblasts」というタイトルでScienceに掲載された。彼らは妊娠55日目のウシ胎仔のfibroblastを用い、マーカー遺伝子(pCMV/s-GEO)を導入しネオマイシンで選抜した細胞からクローンウシを作出した。胎仔由来のクローンとはいえ、分化した体細胞からの最初のクローンウシであり、同時に最初の遺伝子導入クローンウシでもあった(注:角田らは成体ウシからの体細胞クローンを世界で初めて成功した)。そしてACTが持つ特許の要は、血清存在下で培養している細胞からクローンを作出することができる、というものである。つまりG0期以外の細胞が特許として登録されたのである。ACTはこの特許を元に、体細胞クローンウシの受託生産、遺伝子導入、組み替えウシによる蛋白質の生産、体細胞由来幹細胞による臓器移植などをメインとする会社として発足した。この少し前、すでに体細胞クローンの特許をロスリン-PPLがクローンヒツジドリーを作った方法で申請していた。ロスリン-PPLは、細胞を血清フリーの飢餓状態にして細胞周期を停止させ、G0期にする事が体細胞クローンに成功するための必須条件だと主張している。したがってG0期以外の細胞でクローンが作れると主張してるACTに対して面白いわけがない。ロスリン-PPLではACTの発表について、細胞密度などから血清が存在していてもG0期に入ってしまう細胞は存在し、たまたまそれをピックアップしたときにだけクローンに成功したのだ、と主張し、ACTの特許は無効だと言い出した。たしかにごくわずかの細胞はG0期に入っているだろうし、その細胞を偶然捕まえてドナーとして使ってしまう可能性は捨てきれないが、ちょっと考えればロスリン-PPLの主張は確率的におかしいことが明らかである。いま仮に血清存在下でもG0期に入ってしまい、偶然その細胞を使ってしまう可能性が2%であり、すべてがG0期の細胞を使用した場合のクローンの成功率が5%だとしたら、2%×5%=0.1%である。つまり1,000回もの核移植でようやく一匹クローンが生まれることになる。ACTのスタッフによるクローンウシの成功率は10%前後まで上がっており、ロスリン-PPLの主張はちょっと苦し紛れの感がある。しかも現在多くの研究所でG1期どころかG2/M期由来の体細胞クローンウシが生まれており、ロスリン-PPLには面白くない状況であろう。
ACTは企業とはいえ、もともとマサチューセッツ大学の研究好きな者たちによって作られたせいか、純粋な科学研究にも力を注ぎ、一流雑誌への発表を優先している。ACTの核となる最初の論文(Science)以外にも、核移植を用いて体細胞由来の幹細胞を世界で初めて作出した論文(Nature Biotech.)や、テロメアの長さは核移植によって逆に長くなること(Science)、体細胞クローンが臓器移植の材料になることを初めて示した論文(Nature Genetics)、そして最近では異種間核移植技術をもちいて、絶滅に瀕している希少動物の救済など、さまざまな研究を行っている。私はマウスのクローンが専門であり、ウシをメインとするACTの収益にはあまり貢献しそうもないが、儲けを考えず純粋に研究だけを考えていい、と言われACTへ移る決心をした。論文発表を最優先する企業は珍しいのではないだろうか。参加したばかりの私を含めてもACTの専任研究者の数はあまり多くないが、全員が核移植に関する論文をいくつも発表してきたプロであり、PPLやサルのクローンで有名なオレゴンからも研究者を引き抜いたり、さらに今後も日本を含め多くの研究者が加わる予定で、規模が大きくなっている真っ最中である。テクニッシャンは全員が大学や大学院で生物学を専攻した人たちで、核移植のテクニックは目を見張るものがある。また外部研究アドバイザーとしては、ドリーの生みの親、K. CampbellやOct3/4で知られるH. Scholerなどが名を連ね、さまざまなアドバイスをしてくれている。CEOのM.D. Westは加齢やテロメアを専門とする研究者であり、ロスリン研究所を吸収したGeronの創設者の1人だった。彼の主張でGeronはクローンやテロメアーゼに関する特許やライセンスを取得し始めたが、運営方針の違いからGeronを抜けることになってしまった。その時Cibelliらが作った会社ACTに出会い、新たにACTの運営を手がけることになった。ベンチャー企業にとって特許による裁判沙汰は日常茶飯事であるが、ACTも同様に訴えたり訴えられたりしている。しかし研究者たちにその火の粉が降りかかることはまったくなく、すべて彼を含めた上層部が担当している。研究者は研究にだけ頭を悩ませていられる。
さてACTがベンチャー企業として生きていくためには、やはり研究だけでは不可能であり、何らかの儲けをしなくてはならない。小さな会社とはいえちゃんとした企業を運営していくためには、職員の保険や会計などを担当する事務や、財政や経営を握るトップ、およびその秘書たちなど、まったく実験室とは関係しない人たちも多く、人件費だけでも相当なものである。その上たとえば私のためにマウス飼育室を作ってくれ、マニピュレーター一式を用意してくれるなど、研究費もかなりかかっている。それだけの儲けをいったいどうやって得ているのだろうか。この辺の話は、私自身がほとんど知らないだけでなく、外部に話すことを禁じられている部分もあるため詳しく書くことは出来ないが、すでにオープンとなっている事柄についてすこしだけ触れよう。ACTは研究をメインとする会社であり、利益を上げるための組織をCYAGRAという子会社に任せている。CYAGRAは核移植によってクローンウシを作ることをメインの仕事としているが、死んでしまったペットの細胞の凍結保存なども請け負っている。私自身驚いたことだが、CYAGRAはすでに利益を上げ始めており、いつのまにかクローンウシを作ることでお金が稼げる時代になっていたのである。遺伝的にまったく同じウシはクローン以外に作る方法がない以上、いくらお金を払ってもいいから作ってもらいたい、というカスタマーがいてもおかしくない。しかし日本も含め世界中から依頼が来ているにもかかわらず、いまのところ収益より運営費の方がはるかに大きい。それはクローンの成功率の低さ、クローン動物に頻発する異常死などで、確実に依頼された仕事をこなせるとは限らないからである。まだまだ黒字になるのは難しそうである。
ACTはようやく基礎を整え終え、ちょうど今拡張し始めた会社である。ロスリンやPPLなどもACTを(恐れながら)注目しており、今後の発展がとても楽しみである。
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