哺乳類の生殖戦略−ヒトの視点から俯瞰する−

高橋 迪雄
東京大学名誉教授
(現:味の素株式会社 栄養健康科学研究班)

JRD2001年2月号(Vol. 47, No. 1)掲載


 「人口増について」、「人間は何故一夫一婦制か」、「人間の子供は何故未成熟で生まれるのか」などについて、私見を交えて、それらを生殖戦略と結びつけてお話したいと思っている。われわれの日常生活では、性とか生殖にかかわる問題はなかなか話しにくいことが多い。しかし、人間はあくまで生物であって、生物にとって最も本質的なことは生殖、つまり子孫をつくることである。生殖をうまく運ぶための生物の知恵は、当然現代のわれわれにも色濃く反映しているはずである。そのような意味で、われわれはもっとフランクに性とか生殖について話題にしてもよいのではないだろうか。

1)子の数

 動物界全体をみれば、多数の卵を産み、一生に1回生殖の機会を持つものが圧倒的に多いが、われわれヒトを含む哺乳類は少数の子を複数回に分けて産み、子の発育をそれぞれ妊娠、哺乳という機構を使って親の保護下に置き、新世代の損耗を極限的に減らすことで栄えている動物である。サカナのなかには、数万個単位で産卵するものも珍しくなく、マンボウの産卵数は億にも達する。これらが全て成体になり、ふたたび生殖を繰り返せば、海はマンボウだらけになるはずだが、実際にそのようなことが起こらないのは、それらののほとんどが成体になる前に死んでしまうからで、1億個の卵から生き残るものはたった2匹というのが現実に近い数字であろう。多くの動物では、子の大多数が育たないことの方がむしろ当たり前で、育つものは極めて稀な存在ということになる。この幸運の籤を引いたものが、その動物の世代を引継ぐことになるのだが、このような稀な機会には、遺伝子の変異に裏付けられた、今迄にはない生存に適した子ができてくることが考えられる。時を経れば、このような特別な個体の子孫が、普通の個体の子孫に速いスピードで取って代わることができるのである。多数の卵は無駄に産み落とされているのではなく、進化・適応の可能性を明らかに高めている。

 哺乳類の中でも、ブタのように10頭以上の子を産む多胎の動物がいる反面、ヒトやウシのように1頭しか子を産まない単胎の動物もいる。ヒトの子は、生後3年程度は、親の保護がなければ決して育たない。われわれヒトの親が一生懸命子供の世話をするのは当たり前で、全ての動物の親が同じように振る舞うと思いがちだが、決してそうでもない。

 畜産業では、生まれたばかりの子ブタが下痢症で死ぬことが大いに問題視されているが、これはブタの生殖戦略に根本的な問題があるからである。ブタは、吸乳には役立たない歯が上下左右2本ずつ生えた状態で生まれてくる。この歯を使って、子ブタ同志は盛んに争い、よい乳頭を奪い合い、よい乳頭は強い子ブタに専有される。よい乳頭からは乳汁が沢山分泌され、しかも子の発達に必要な栄養素の含有量も高い。悪い乳頭しかとれなかった子は、良い乳頭を獲得して元気に大きく育つ子と、みるみる差がついてくる。このような不幸な子が、しばしば下痢を起こして死んでいくのである。無事に残る子の数は、母親の栄養条件や健康状態で決まってくる。つまり、ブタは、生後に子の淘汰を行なっている動物と考えることができる。非情といえば非情かもしれないが、現存する生物は、他にはない優れた生き残る道を見つけたからこそ存在しているのであり、ブタにとっては、この親の非情な態度が生き残りを保証してきた生殖戦略なのである。

2)哺乳と人口

 哺乳動物では、哺乳の間に母親が示す行動発現を介して、子には敵味方の区別、採食可能な食物、社会的オリエンテーションなどが「刷り込まれる」と考えられる。これは、遺伝子に書き込まれていない情報が、中枢神経系の回路形成というかたちで母から子へ継承されることを意味しており、哺乳類の環境適応に大きな役割を果たしている。したがって、それぞれの動物種には固有の哺乳期間が存在すると考えられる。固有の哺乳を保証するためには、哺乳中に次の妊娠を起こらなくすることが必要で、実際全ての動物で、吸乳刺激が中枢神経に作用して排卵に必要なホルモンの分泌を抑制する仕組みが備わっている。つまり、先に生まれた子が育って、母親が次の子の哺育に専念できる頃を見計らって離乳が行われ、排卵とそれに引き続いて次の妊娠が始まるのである。

 この哺乳の方式が、生物としてのヒトと、われわれ文明人との間では大変違っているのではないかと考えられている。現在「生物としてのヒト」がいるわけではないが、人間に極めて近いチンパンジー、ゴリラの分娩間隔は4〜5年で、カラハリ砂漠でいまも狩猟採取生活をしている、クン族のそれも4年であるという調査結果がある。われわれは1年間隔で子供を持つことも決して珍しくないから、この違いには何らかの理由があるはずである。

 ヒトの分娩間隔が4年ということは、これから妊娠期間を引いた3年強が、ヒトの生理的な哺乳期間であることを意味している。さらに、ヒトの生理的哺乳は、昼夜を分かたず1時間に3回程度極めて頻回に行われていたらしい。このような頻度で哺乳が行われていれば、排卵の抑制は完全で、女性は10〜15年掛けて2〜3人の子を生むことで一生を終えていた。新生児期の損耗を考えれば、ヒトはチンパンジー、ゴリラと同様に数の増えない動物であった。人類400万年の歴史の殆ど全ての期間を通じて、人口の倍増には10万年を要していたという計算がある。現代、これが50年を切って、激しい人口増加が起きているのは、ヒトが生理的な哺乳の方式を放棄したからである。

 約1万年前に、それまでの狩猟・採取による移動生活から、農耕・牧畜などによる定住生活が始まり、母親の社会的役割が大きく変化した。狩猟・採取生活では、母親の育児の負担は極めて大きく、母親と子は常時一緒にいて、短い間隔で哺乳していたに相違ない。定住生活が成立すると、家の中にしばらく乳児を置いて、その間に母親が積極的に農業労働に従事することなどが可能になり、排卵を抑えるのに十分な哺乳の頻度が保てなくなっていったのであろう。その結果、たとえ哺乳中でも妊娠・出産が起きることから、必然的に一人の子供に対する授乳期間が短縮していった。これが文明人の哺乳の方式である。「文明の発祥」以後、他の類人猿などとは異なり、食糧の供給が満たされれば、それに応じて人口が増加する動物に変わってしまったのが今日の人口問題のルーツと考えられる。

3)排卵周期

 哺乳類では、排卵した卵が交尾の後受精して、妊娠を経過して子が生まれる。受精卵がつくられなかった場合は次の排卵が起こってくるが、この繰り返しを排卵周期という。

 排卵周期のパターンは、動物の種間で大きく異なっており、排卵の起き方と黄体のはたらき(後述)によって3つに分類することができる。まず排卵の起き方には2種類あって、ウサギ、ネコ、フェレット、ラクダなど、交尾の刺激が加わらないと排卵が起きない交尾排卵動物と、排卵のために交尾が必要でない自然排卵動物がいる。ヒト、家畜、ネズミなど多くの動物は、自然排卵動物である。自然排卵動物は黄体のはたらきでさらに二分されるが、その前に交尾排卵動物の適応が何であるかを考えてみたい。

 動物の雌が雄の性行動を許容して交尾をするのは、発情したときに限ってである。発情は、卵巣から分泌されるエストロジェン(卵胞ホルモン)というホルモンの作用でひきおこされる。このエストロジェンは排卵可能な成熟した卵胞から分泌され、排卵とともに分泌されなくなる。つまり、受精が可能なときに限って雌は発情し交尾が起きるのである。以上のことから、交尾排卵動物が交尾しないと排卵しないということが、交尾しない限り発情が続いていることも意味していることが判っていただけると思う。

 交尾排卵は、普段は雄雌が別れて棲んでいるような動物の適応で、交尾しない限り発情が続くから、その間遠くからも雄が集まって、雌の獲得をめぐって雄の間で争いが起こる。争いに勝った雄が、負けた雄に比べて優れているとは一概には言えないが、このような生殖戦略が優れた子孫を残す可能性を高めていることは確かである。イエネコは身近な交尾排卵動物で、雌が発情すると沢山の雄が集まり、大変賑やかなことになることは経験されていると思う。

 ひるがえって自然排卵動物では、エストロジェンは、発情を引き起こすとともに排卵に必要な性腺刺激ホルモンの分泌をもたらすので、卵胞が成熟するとすぐに排卵が自動的に(自然に)起こり、発情はせいぜい1日程度しか続かない。このような状況を前提に、つまり、雌と雄が容易に接触できるような前提で生態系ができ上がっているのである。交尾排卵動物は、エストロジェンの排卵誘起作用を欠いたことによって、特別な生態系を作っている動物と考えることができる。

 自然排卵動物は、さらにヒトや家畜のように3−4週間の長い排卵周期を持つ動物と、実験動物のラットのように4−5日の短い排卵周期を持つ動物とに二分される。排卵周期にこのような著しい長短が生まれるのは、前者では排卵後に黄体ホルモン(プロジェステロン)を分泌する黄体が形成されるが、後者では、黄体から分泌されるはずの黄体ホルモンが、さらに不活性な物質に代謝されてしまうからである。前者では、成熟した卵胞から排卵が起きると、その後には黄体という組織が作られて、本来妊娠に必要な黄体ホルモンが分泌され始めるが、この黄体ホルモンには中枢神経にはたらいて、排卵に必要な性腺刺激ホルモンの分泌を抑制するはたらきもあるから、このホルモンが分泌されている限り次の排卵は起きないのである。黄体ホルモンを分泌されている時期を黄体期といい、ほとんどすべての動物で約2週間と一定している。ちなみに、ヒトの排卵周期(月経周期)が4週間になるのは、月経に1週間、卵胞の発育に1週間がとられるからである。 交尾排卵動物は交尾刺激がなければ排卵しないことを述べたが、自然排卵動物でかつネズミのように短い排卵周期を持つ動物では、交尾刺激が加えられた時に限っては、黄体ホルモンが代謝されずにそのまま分泌されてくる、巧みなメカニズムが備わっている。言い換えれば、これら2つのタイプの動物では、交尾がなく、したがって、決して妊娠の可能性がない場合には、妊娠に必要な黄体ホルモンは分泌されずに、それぞれ発情が継続する、あるいはすぐに次の排卵が起きるという、生殖効率を上げるための合理的な仕組みを持っていることになる。このように見てくれば、排卵のたびに黄体ホルモンを分泌することで排卵周期が間延びしてしまった、ヒトや家畜などの多くの動物は、むしろ適応性の低い動物である。このように合理的な機能を失ってもなおこれらの動物が絶滅しなかったのは、これを補う適応性が獲得されたからに相違ない。

 黄体ホルモンを分泌することで排卵間隔が延長してしまった動物では、排卵の前後に限って見られる発情の間隔もまた延長する。このことは、発情している雌の数が少なくなることを意味している。発情とは、雄を許容することであるから、群れに発情雌が少数しかいないという状態は、群れの成熟雄の間に強い競争関係をもたらし、結果として、競争に勝った1頭の雄が群れの中の多数の雌と生殖の機会を持つハーレムの形成を促すことになる。このような動物は大型で世代の間隔が延長したものが多い。世代間隔が延長するということは、とりもなおさず遺伝的変異に裏付けられた適応性の高い個体を選択する機会が減少することであるから、進化の面からいえば明らかにマイナスの要因である。しかし、このような動物では、雌の発情の頻度を下げることによって、ハーレムの形成促し、この枠組みの中で優れた遺伝的背景を持つ雄が大きな母集団から選択される機会を増やして、世代が延びてしまったマイナスを補っていると考えられる

 後述するように、高等な霊長類の選択・淘汰の方法は単純なハーレム型の動物とは明らかに異なっている。これには、これらの動物が際立って幼若な子を生むことが関係しているらしい。

4)直立歩行と子の幼若化

 ヒトとチンパンジーは遺伝子レベルでは極めて似た生き物だが、チンパンジーは四足で、ヒトは二足で歩行するのが基本である。このことに伴う骨格の違いは顕著で、間違えることはない。したがってヒトは「直立歩行するサル」ということで定義され、その出現時期は約400万年前と考えられる。われわれの直接の先祖と考えられるヒト科の1つの種が現われたのは僅か4万年前で、しかも現在ヒト科の生物がこの1種しかいないということは、ヒト科の多くの種が、400万年間進化・絶滅を繰り返して現在に至ったに相違ない。つまり、400万年前から全く同じような人類が連綿と続いていたわけではなく、淘汰・選択圧にさらされ続けた結果、現在のヒトが最も良く適応したヒト科の代表選手として生き永らえているのである。

 ヒト以外の哺乳動物は四つ足で歩行しているから、子宮も、産道も重力とは直角の関係にある。ところがヒトは直立してしまったから、胎児の重みは他の動物のように背骨で支えることができなくなり、しかも産道が重力の向きと一致するという大変に具合の悪いことが起こってしまった。この結果ヒトは大きな子供は生めないという宿命を背負ってしまう。生きとし生ける動物は全て肉食動物の標的になり、その中でも生まれたばかりの子が最適な標的になるから、少しでも早く立ち上がって母親と行動を共にしようとする。ウマやカモシカなどの草原の草食動物の子が、驚くほど早く歩行できるようになるのはこのためである。人間も森の中、あるいは森から草原に出て狩をしていた動物らしいから、この意味ではできれば一人前の大きな子供を生みたかったに相違ないが、立ち上がったことによってこの望みは実現しなかった。

 人類400万年の骨格の変化は、化石によって実証することができる。骨格の中で際だった変化を遂げたのは頭蓋骨であって、その容積は現代人では約1400ccあるが、400万年の間に約3倍にも増大しており、この頭蓋容積の増大はもっぱら大脳が大きくなったことに対応するものである。ヒトが直立した結果。頭が大きくなった子を分娩することが著しく困難になってしまったから、その解決策は、頭が大きくならないうちに、つまり大脳の発達を生後に先送りするかたちで子を生むことであった。つまり人類の頭蓋容積増大の歴史は、とりもなおさず生まれてくる子が幼若化していった歴史と考えることができる。ヒトの生理的哺乳期間が際立って長いこと前に述べたが、これは、出生子の幼若化によく対応している。

5)子育ての援助者とハーレムの解消

 鳥類が繁栄している大きな理由は、飛べることによって、外敵に襲われにくい安全な場所で子育てができることである。しかし、飛ぶということはそんなに簡単なことではなく、多くの鳥は春から夏の半年の間に、卵を生み、孵化させ、さらに子を飛べるようにしてやらなければならない。子が飛ぶためには、親とほとんど同じ体形になるまで成長させなければならないから、子には大量の餌を与えなければならない。このような状況にある鳥類では、子育ての援助者がいることの意義が極めて高いはずで、事実多くの種類の鳥で父親が子育てに参加することが知られている。

 ひるがえって、狩猟採集生活をするヒトの母親には、極端に幼若な状態で生まれた子を抱えて、哺乳しながら群れの移動に従うという、大変に苛酷な負担が掛かってくる。その負担が厳しければ厳しいほど、援助者の存在が子育てを成功率を上げるはずである。ヒトにもトリのように、父親という育児の援助者がいたのだろうか。しかし、既に述べたように、人類の先祖は、おそらくハーレム形成型の動物として進化してきたに違いないので、これが解消されるためには生物学的な裏付けが存在するはずである。

 イヌは、ハーレムを解消している身近な代表的な動物である。ハーレムの形成を妨げるためには、雄の間の生殖に関する競争を緩和しなければならない。イヌは、1年に2回の繁殖季節を持つ「季節繁殖動物」で、排卵が起きると黄体ホルモンが分泌されるタイプの動物であるが、分泌される期間が妊娠期間に匹敵する9〜10週間も続く特別な動物である。黄体ホルモンが長期に分泌されているために、1繁殖季節には1回しか排卵せず、したがって1回しか発情しない。しかも、発情は1週間以上も続く。このため繁殖季節には群れの殆ど全ての雌が一斉に発情して、1頭の雄が全ての雌と交尾することは困難になり、ハーレムは作れない。イヌは純粋な肉食の動物であるが、ネコ科の動物のようには狩に適した体をしていない。そこで、イヌはオオカミなどと同様、群れの多くの個体が協力して、集団で狩をすることで餌を得ている。集団の狩が成功するためには、ボスの雄が1頭いる状態よりも、多くの雄が群れの中に残っている状態の方が好ましいことは言うまでもない。特に、季節繁殖動物であるイヌは、結果として一斉に子を生み、成熟雌の多くが子連れの状態になる。雌の多くがこのような負担を抱え、しかも餌が最も必要なこのときに、群れの中に狩に参加できる成熟雄が多数留まっていることは、子育て、つまり種の維持のために極めて意義が高いことである。黄体期を著しく延長するという一見迂遠な方法を使って、イヌは成熟雄の間の生殖参加への競争を緩和し、成熟雄が群れの中にとどまることを保証しているのである。

 この点で高等な霊長類は、発情行動の発現が不明確で、雌が排卵前後の特定の短時間だけに限らず雄を許容するという際だった特徴を持っている。雄を許容する雌が群れの中に多数存在すれば、雄同志の競争は緩和されて、やはりハーレムは形成されないのである。動物の発情は、エストロジェンが脳に作用して誘起されるものであるが、この点ではヒトの女性を含む高等な霊長類では、性周期の黄体期にも、妊娠期にもかなり多量のエストロジェンが血中に存在していることが知られており、最終的に発情行動があいまいになっていったことの生理学的背景の一つになっていたに違いない。さらに、これが一夫一婦制に至る道は、おそらく次に述べるような、 食物をいかに得るかというようなことと密接に関連して作られていったのかと思われる。

6)ヒトの食べ物と言葉の成立

 哺乳類の消化管を比較してみると、ヒトの消化管は、はっきりと肉食動物の特徴を残している。ヒトは哺乳類の先祖がそうであった肉食性の特徴を、そのまま残している動物である。

 肉食動物の被捕食者である草食動物は、肉食動物に捕えられないことが生き残りの第一条件である。草食動物を捕えるための捕食者側の第一着手は、ネコ科の動物で見られるように速く走ることである。ところがヒトは立ち上がってしまった。四本足で走る哺乳類は背骨を使って、前脚と後脚のスタンスで走るが、直立したヒトは、2本の後脚のスタンスでしか走れない。かくて、世界最速のランナーも時速37kmで200mしか走れないことになる。同じ大きさの肉食動物に比べれば、驚くべき鈍足である。ヒトは肉食であるにもかかわらず、狩に最も必要な走る速さを犠牲にして、立ち上がるという大変矛盾に満ちたことを行ってしまったことになる。鈍足なヒトの狩は、イヌと同様、間違いなく集団による狩であったと考えられる。

 既に述べたように、人類発達の歴史は、大脳容積の増大が最も特徴的である。この大脳の発達が、全ての動物種でただ1種、ヒトに言語活動を可能にしている根拠である。ヒトが行ってきた集団の狩では、どうやって獲物を追い詰めて、どこで、どのように分担して目的の動物を捕まえるかなどについて、前もって相談することが行われたと仮定しよう。そして、このような共同謀議に、言葉、あるいは脳の中では言葉と同じように処理される抽象的な身振り、手振りが使われたと仮定しよう。もしこのようなことが始まったとすれば、この言語活動の上手下手こそが、狩の成功率に決定的な意味を持ったに相違ない。重なり合う狩の場所で、言語活動が優れている集団と劣っている集団が競争関係に入ると、常に前者が勝利を得るような経過が、人類の歴史では連綿と繰り返されたのであろう。言語活動の質を高めるためには、大脳の容積を拡大しなければならない。つまり、ヒトの生き残りのチャンスは、大脳のが大きさに依存してしまったのであろう。

 ヒトが直立歩行することで運動能力が犠牲になり、狩に著しい困難が生じたことを言語活動で補ったとすれば、 これは「禍を転じて福とする」ことをまさに地で行っている感がある。さらに、ヒトの大脳の発達は、前足、つまり手の運動を巧みに操るための機能の発達を伴っている。このような手を持ったわれわれは、母親はもちろん母親でないものでも自由に子供を抱いて面倒を見ることができるし、「料理して柔らかくした食べ物を、小さくちぎって子供に食べさせる」というような、他の動物には全く考えられないような子育てが可能になった。

 さて、ハーレムの解消から一夫一婦制の成立の過程をどう説明するかが残ってしまったが、一夫一婦制の維持は、遺伝子で行われているわけでもないし、インプリントで行われているのでもないことは確かである。何故ならば、この制度の違反が、あまりにもしばしば起きるからである。言葉を話し、それを理解することは、記憶、判断、情緒など様々な脳機能が総合した知能に裏打ちされた能力である。そのような知能を基礎に、たとえ他のペアの女性との性的関係が一時的に可能になっても必ずしもそのような機会を利用しないという、つまり「シッペ返し」を避けるための一夫一婦制が。しきたりのようにして定着していったのであろう。このようなしきたりが成立している集団は、結果として、そうでない集団に比べて明らかに新生児の生存率が高まることが期待される。

7)さいごに

 生物の生きていることの使命は、つきつめれば、次の世代を作ることである。ヒト以外の生物が次世代に自己のありようを伝える媒体は、受精の瞬間に働く自己の「ゲノム」と、次世代の出生後の短い時間に働く「刷り込み」以外にはない。したがって生殖年齢を過ぎた動物は生きて行く使命を終えた動物だから、野生の動物の寿命は事実上生殖可能な年齢と一致している。生殖年齢を過ぎてもわれわれ文明人に厳然と与えられている部分の寿命は、自己の知識、知恵を言葉を使って次世代に残すために与えられているのに違いない。生殖戦略という観点は、ヒトという生物の理解に、新しい視点を与えてくれる。


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